レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/09/26
- 登録日時
- 2013/12/31 18:55
- 更新日時
- 2014/04/13 20:40
- 管理番号
- OSPR12090053
- 質問
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落合太郎は、デカルト著『省察』(三木清訳)の後記のなかで、
「三木君がいつごろMeditationesを訳しをはつたのであるか。わたくしはこれを知らない。死後に、この遺稿が、いつ、どこから、どうして、出てきたか。それは聞いて知つてゐる。が、わたくしはそれについて語るのは見合はせたい。……それを語るには、わたくしよりももつと適当な人たちがある。」と述べています。(デカルト『省察』(岩波文庫)三木清訳、岩波書店、1949年、p.162)
三木清が翻訳した『省察』の遺稿は、「いつ、どこから、どうして、出てきた」のでしょうか。その経緯についての調査をお願いいたします。
なお、下記は読みましたが手掛かりはありませんでした。
・デカルト『省察(岩波文庫)』(三木清/訳 岩波書店 1949)
・『デカルト選集 第2巻』(三木清/訳 創元社 1948)
・「書評 デカルト『省察』(三木清訳)を読んで『サンス:フランス学術研究』通号5)」(長澤信壽/著 1948.10 p.84)
- 回答
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『省察』の原稿発見の経緯について調査いたしましたところ、下記の2点の資料に関連する記述がありました。内容はほぼ同一ですが、記述に若干の相違がありますので2点とも紹介します。
・『三木清著作集:第16巻』(岩波書店 1951)
「第十六巻について」(桝田啓三郎/記)の「親鸞」の項目に「埼玉の疎開先に残されていた遺稿である。はじめに発見された草稿は二百字詰の原稿用紙百八十七枚であったが、これに連なる「歴史の自覚」と題した一章九十七枚(二百字詰)の原稿が、死の翌年、即ち昭和二十一年の秋、デカルト『省察』の訳稿と共に発見されて遺族の手に戻ってきた。警視庁に押収されていたのである。(後略)」と記されています。
・『三木清全集:第18巻』(岩波書店 1986.1)
「後書」(桝田啓三郎/著)の「親鸞」の項目に「著者の死後、埼玉の疎開先に残されていた遺稿である。はじめに発見された草稿は二百字詰の原稿用紙百八十七枚であったが、翌年すなわち昭和二十一(1946)年の秋、その一章をなす「歴史の自覚」と題する原稿九十七枚(二百字詰)が、デカルト『省察』の訳稿といっしょに発見された。昭和十九(1944)年三月、著者が官憲に検挙された際、警視庁に押収されていたのが、敗戦後、自由法曹団の手を通して回収され、遺族の手に戻ってきたのである。(後略)」と記されています(この資料の一刷は1968年です)。
『デカルト選集 第3巻』に落合太郎による「省察」の後記の記述は、岩波文庫『省察』と同一ということなので省きます。
なお、自由法曹団に関する資料で、押収図書の取り返しに関して触れている資料があります。参考までに紹介します。
・『自由法曹団物語:解放運動とともに歩んだ45年』(自由法曹団/編 労働旬報社 1966)
「押収書籍のとりかえし」と題して、自由法曹団は1945年の秋に、治安維持法関係などで押収された資料の返還を要求。引き渡された「書籍類は、しばらく団の事務所におかれていたが、とりかえしたことを伝えきいて受取りにくる人もあり、散逸するおそれがあったので、翌年になってから共産党の資料室に一括して引き渡した」と当時の状況を伝えています。ただ、これらの資料の中に『省察』の訳稿があったかどうかは記載されていません。
以上です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本思想 (121 8版)
- 参考資料
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- 『三木清著作集:第16巻』(岩波書店 1951) (637)
- 『三木清全集:第18巻』(岩波書店 1986.1) (544)
- 『自由法曹団物語』(自由法曹団/編 労働旬報社 1966) (195-196)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000142867