レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年08月03日
- 登録日時
- 2016/10/09 15:26
- 更新日時
- 2017/05/10 12:32
- 管理番号
- 県立長野-16-005
- 質問
-
解決
プロレスラー、ジャイアント馬場として知られる馬場正平が、読売ジャイアンツに投手として在籍していた時に城山
公園にあった長野市営球場に遠征で来た試合を見た、という人がいる。いつのことかわかるか。インターネットで調べ
たところでは、馬場がジャイアンツに在籍していたのは昭和30年(1955年)から昭和34年(1959年)まで。
- 回答
-
昭和33年(1958年)8月15日に長野市営野球場で読売と国鉄の二軍のダブルヘッダーが行なわれている。
ただし馬場は帯同していたもののこの両試合に登板していないようだ。
読売新聞長野版の記事によると、8月15日に長野市(市営球場)、16日に野沢町(野沢北高グラウンド)、
17日に中野市(市営球場)、18日に上田市(市営球場)でそれぞれダブルヘッダーの試合を行っている。
「信濃毎日新聞データベース」、「読売新聞長野版マイクロフィルム」、『巨人軍の巨人 馬場正平』
の記載から、馬場が登板したのは野沢町の両試合、中野市の第2試合、上田市の第2試合らしい。
- 回答プロセス
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1 馬場正平に関する資料を検索したところ、下記参考資料1を所蔵。
巻末に「馬場正平の野球成績(高校時代、巨人軍時代)表」があり、登板した試合が記載されている。長野
県内の記録は昭和33年(1958年)の8月のみ(ただし、この表では長野市での試合は記載されていない=登板し
ていない?)。
2 下記参考資料2を確認。
8月15日の紙面に両チームが到着し、長野県内4市町でそれぞれダブルヘッダーの試合をすることの記載が
ある。長身の馬場は注目の選手だったらしい。
翌16日紙面に長野市での試合の記事がある。「馬場は登板しなかった」とある。
翌日以降も各地の試合の記事あり。
3 日付をもとに、参考資料3で紙面を確認。
スポーツ面ではなく、16日「東北信版」のページに15日に長野市営球場で行われた試合結果とバッテリー
氏名だけの簡単な記事が掲載されていた。各日の登板者は読売新聞よりもこちらの方が詳細だが、野沢町の試
合は見つからなかった。
参考資料1~3から、馬場の登板は回答に記載のようになると思われる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 球技 (783)
- 参考資料
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- 1 『巨人軍の巨人 馬場正平』広尾晃/著 イースト・プレス 2015年 当館図書請求記号【783.7/ヒコ】
- 2 『読売新聞 長野版 マイクロフィルム 昭和33年』
- 3 『信濃毎日新聞データベース』
- キーワード
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- 馬場正平
- ジャイアント馬場
- プロ野球
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000198002