レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年10月25日
- 登録日時
- 2014/11/12 16:51
- 更新日時
- 2015/08/05 16:24
- 管理番号
- 2014-16
- 質問
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解決
ブリの高級感が伝わるようなエピソードや幻の魚と言われる所以が書かれた資料がほしい。
- 回答
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まず「お魚博士」として知られる水産学者・随筆家、末広恭雄氏の著作で、
【資料1】「ハタハタ」(p28-35)の項に
「ところで、なぜハタハタの子をブリ子と呼ぶかというと、それはつぎのような言い伝えがある。
『採薬使記(さいやくしき)』の中巻に記されている記事の大要だけを書くと―その昔、秋田の藩主佐竹氏が、水戸の藩主であったころ、正月といえばかならずブリを食べたのだが、秋田に転封されてからは産地の関係で、ブリを食べることができなくなってしまった。そこでやむなく、ハタハタをその代用にすることになったそうである。しかし、忘れられないのは水戸のころ食べた正月のブリであった。そこで誰いうとなく、ハタハタの子をブリ子と称して、せめてもの慰めにすることになったのだという。」(初出『魚と伝説』新潮社、1964年)
「ブリ類」(p168-195)の項に
「初ブリやほのかに白き大江山―という句もあるように、ことに初冬から早春にかけて捕れるブリは、俗に「寒ブリ」と称してもっとも美味とされる。古くは日本海に産したものが和船に積まれて、下関から瀬戸内に入り、京阪地方を市場として運ばれたので、関西地方では、関東や東北が新年に塩ザケを供するように、塩ブリが年越しになくてはならないものとして珍重された。
井原西鶴の『世間胸算用』に描かれた長崎の正月の祝い魚には、タイ、イワシ、タラ、カツオに並んで塩ブリが挙げられているが、塩ザケは記されていない。そして、こうした風習の違いは、現在まで受け継がれている。つまり、東日本の魚屋に新巻ザケがずらりと並べられる年の瀬には、出世魚である寒ブリが西日本の店先に並べられる。
また、現在でも塩ブリを贈答品にしたり、正月の神前に供える地方は少なくない。江戸時代の大坂で書かれた『日本山海名産図会』には「年始の祝詞にかなえるものなり」とあり、さらに「丹後与謝のブリを上品とする」とある。」
とある。
【資料2】「ブリ」(p579-582)の項に「正月の魚料理に欠かせないのが、北海道、東北・関東地方では「新巻鮭」だが、関西以西では「塩鰤」である。最近は流通の便もよく、関東の風習が全国にも普及し始めているが、サケの上がってこない南関東から西では、この季節よく獲れるブリが美味しいご馳走であった。常陸の国(現在の茨城県)から国替によって出羽秋田の藩主となった佐竹氏も、正月にブリが食べられず望郷の念に駆られたというほどである。もう一つ、成長とともに名前が変わる出世魚という。」とある。
【資料3】「鰤腌(しおづけ)」(p177)の項に「冬春にこれを食べる。脂が多く味は厚い。春月を過ぎると味は変わって食べるに堪えなくなる。丹後のものを上とするが、越中および防州の瀬戸崎(せんざき)・雲州の鱸島(ともしま)のものも佳い。この魚は少時から老いるにつれて名が変わる。初めは江海にあって徐々に大洋に出、また東北海から連行して西海の対州(つしま)で終る。これを出世昇進の魚とし大魚と称する。貴賤ともに歳末の嘉悦の饋物(おくりもの)とする。」とある。
【資料4】「ブリ」(p639-640)の項に「[民俗]西日本では、正月の歳(とし)とり魚に、東日本のサケに対して、ブリを用いている。京阪では、正月に竈(かまど)の上に飾るサカナカケにもブリは欠かせない。雑煮にもゴボウ、ダイコンとともに、ブリを入れる。奈良の春日大社では、新年の供物にブリとサケを用いる。京都市には、塩ブリを肴に用いる神事がいろいろあった。大津市にもブリの馳走(ちそう)で食事をする正月八日の行事があった。関東地方でオブリというのは神に供える魚のことで、この魚をブリとよんだのも、神供に用いたからであろう。
なお関西などで歳とり魚として好まれるブリは、長野県では「飛騨ブリ」とよばれる。能登(石川県)でとれたブリを、飛騨高山から野麦峠を越えて行商人が背負って運んだためで、産地では「一斗(いっと)ブリ」といって一尾の値がおよそ米一斗であったものが、長野県では米一俵にもなったという。」
とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 脊椎動物 (487 9版)
- 水産業 (66 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『末広恭雄選集 4 追補 随筆で楽しむ日本の魚事典 海水魚4』(末広恭雄/著 木村清志/監修 錦秋社 2007年)<当館請求記号497.5/スヤ/2007>
- 【資料2】『現代おさかな事典 漁場から食卓まで』(山本保彦/編纂 エヌ・ティー・エス 1997年)<当館請求記号R664.6/ヤヤ/1997>
- 【資料3】『和漢三才図会 7』(寺島良安/〔著〕 島田勇雄〔ほか〕/訳注 平凡社(東洋文庫) 1987年)<当館請求記号031.2/14/7>
- 【資料4】『日本大百科全書 Encyclopedia Nipponica 2001 20 ふ‐へか』(小学館 1988年)<当館請求記号031/47/20>
- キーワード
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- ぶり
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000162111