レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年01月09日
- 登録日時
- 2016/01/28 09:42
- 更新日時
- 2016/05/10 17:36
- 管理番号
- 埼熊-2015-160
- 質問
-
未解決
妻沼で売られているいなりずしのルーツについて以下のことが書かれている資料を探している。
なぜ、いなりずしは、妻沼で多く売られているのか。
いつごろから売られているのか。
妻沼のいなりずしを1番始めに売り出した店はどこか。
- 回答
-
いずれも、裏付けとなる資料は見当たらなかった。参考として次の情報を提供した。
『埼玉新聞 1992年6月11日12面』(埼玉新聞社)
「ふるさとのすし 聖天ずし 〔妻沼〕」(フリーライター・小鮒輝一)「稲荷(いなり)ずしの一種だが、いつごろから作られていたのかは分からない。(略)元祖の森川寿司店が現在七、八、九代で経営していることと、名古屋で発明された稲荷ずしが、江戸に持ち込まれたのが文政時代の末期(1810年)ということから推理すると、百七十年ほどの歴史だろう。」
- 回答プロセス
-
1 《国会図書館サーチ》を〈妻沼 & いなりずし〉で検索する。(http://iss.ndl.go.jp/ 国会図書館)
《国会図書館レファレンス協同データベース》「妻沼聖天山歓喜院(熊谷市)の近くで売っているいなりずしは、なぜ一般のものに比べて長いのか知りたい。」(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000114656 国会図書館)
作り方の記述はあるが、「由来」は不明とあり。
引用文献の内、『埼玉新聞 1992年6月11日12面』を確認する。
2 《Google》を〈妻沼 & いなり寿司〉で検索する。(https://www.google.co.jp/ Google)
《熊谷市 観光・イベント情報》
「いなり寿司」に「二百数十年前の宝暦年間、妻沼地区が聖天さまの門前町や利根川の宿場町として栄えた遠い昔から、この「いなり寿司」が、名物としてもてはやされてきました。古くから利根川沿いの妻沼郷では、光沢があり粒の揃そろった良質の米がとれました。妻沼のいなり(稲荷)寿司は、こうした風土と聖天信仰の中で生まれたふるさとの味覚です。」とあり。(http://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/meibutsu/inari.html 熊谷市)
《くまがやねっと 第14回 いなり寿司》
「妻沼の聖天さまは関東の三大聖天(妻沼聖天、待乳山聖天、平井聖天)の一つとして多くの参拝者がありますが、江戸時代は現在以上に江戸との往来があったのではないでしょうか。」
「いなり寿司の史料として江戸時代に書かれた守貞謾稿(もりさだまんこう)に記述があり、近世商売尽狂歌合(きんせいしょうばいづくしきょうかあわせ)に屋台で売る商人の姿が描かれています。これらから推測すると、いなり寿司は江戸末期に誕生したものと思われます。前段で紹介した町村合併50周年記念要覧の宝暦年間(1751-1763)より後の時代と思われます。」
(http://www.kumagayakan.net/bk/menuma/1202.html 大和屋株式会社)
『日本随筆大成 第3期 第4巻』(日本随筆大成編輯部編 吉川弘文館 1977)p364 「近世商売尽狂歌合」に長い稲荷寿司を売っている絵がある。
その他調査済資料
『武州妻沼聖天山 埼玉の小日光』(聖天山歓喜院 2006)
『斎藤氏と聖天堂』(熊谷市立熊谷図書館美術、郷土係編 熊谷市立熊谷図書館 2013)
『妻沼史談』(金谷俊夫編 妻沼郷土史研究会 2006)
『妻沼聖天山 妻沼町 さきたま文庫 1』(田島一郎文 飯田一雄写真 さきたま出版会 1985)
『熊谷市(旧妻沼町編)史調査報告書 食生活 民俗編 第2集』(熊谷市立図書館市史編さん室 2007)
『わが国における聖天信仰』(關尚道著 平井聖天燈明寺 1987)
『熊谷市史調査報告書 食生活 民俗編 第2集』(熊谷市立図書館市史編さん室 2005)
『埼玉叢書 第3巻』(稲村坦元編 国書刊行会 1970)
『埼玉叢書 第8巻』(稲村坦元編 国書刊行会 1972)
ウェブサイトの最終アクセス日は 2015年1月9日。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 食品.料理 (596 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 妻沼
- 稲荷ずし
- 聖天山歓喜院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 言葉 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000187611