レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年06月30日
- 登録日時
- 2008/11/25 18:53
- 更新日時
- 2008/11/28 13:12
- 管理番号
- NDL-品川ー001
- 質問
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解決
島津山、池田山に関する史料を探している。江戸から昭和前期にかけての品川の歴史、建築史などの面から探して下さい。
- 回答
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江戸時代の両屋敷については「江戸大名下屋敷を考える」「しながわの大名下屋敷」にその歴史、建物も規模、配置等の記述がある。
明治以降の変遷については「しながわの史跡めぐり」「江戸東京歴史散歩3」に記述がある。
各年代の地図を追っていくと屋敷とその跡地の変遷がわかる。
明治44年「荏原郡品川町・大崎町全図」では邸宅の記載はない。袖ヶ崎と平岡が広い敷地であることはわかる。
大正5年「品川区史資料編地図統計集」に島津邸、池田邸の記載がある。
昭和7年「大東京三十五区詳図品川区」「大崎町図」に島津邸がありその周りが分譲地になっている。池田邸はすべて分譲地となりその一区画に池田邸がある。
島津邸は大正6年にコンドルの設計による洋館に改築された。昭和37年(1962年)以降清泉女子大学の本館として使用されている。
池田邸は昭和60年(1985年)その奥庭を品川区立池田山公園とし一般に公開されている。
- 回答プロセス
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品川区では有名な地名。「品川区史料(十三)品川の地名」によるといずれも通称名である。地名事典類にも記載がない。品川区の地域史料、江戸東京関係の資料で調査した。
島津山は仙台藩伊達家の大崎袖ヶ崎下屋敷があり、後に島津公爵邸ができたことによる。現在の住居表示は東五反田三丁目、旧名称袖ヶ崎。島津邸は現在清泉女子大学で使用している。
池田山は岡山藩池田家の下屋敷(大崎屋敷)があったことによる。現在の住居表示は東五反田五丁目、旧名称は平岡。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 日本 (291 8版)
- 西洋の建築.その他の様式の建築 (523 8版)
- 参考資料
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- 「品川区史料(十三)の地名」品川区教育委員会2000年
- 「品川区史続資料編(三)」品川区編1972年
- 「しながわの大名下屋敷」品川区教育委員会編2003年
- 「江戸大名下屋敷を考える」品川歴史館編2004年
- 「江戸東京歴史散歩3」街と暮らし社2001年
- 「しながわの史跡めぐり」品川区教育委員会編2005年
- 「品川区史資料編地図統計集」品川区編1972年
- 「荏原郡品川町・大崎町全図」1911年
- 「大東京三十五詳図品川区」1932年
- 「大崎町図」1932年
- 「東京建築懐古録Ⅱ」読売新聞社1991年
- 「近代建築ガイドブック関東編東京建築探偵団鹿島出版会1982年
- 日本の建築明治大正昭和2」小野木重勝著三省堂1979年
- 「図面でみる都市建築の大正」柏書房1992年
- キーワード
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- 品川の地名
- 大名下屋敷
- 島津邸
- 清泉女子大学
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000049251