レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年09月12日
- 登録日時
- 2013/09/12 21:11
- 更新日時
- 2013/09/12 21:18
- 管理番号
- 20130912-9
- 質問
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解決
段祺瑞について知りたい。
- 回答
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段祺瑞(だんきずい) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%AE%B5%E7%A5%BA%E7%91%9E/ (2013/09/12確認)
[現地読み:トワンチールイ]
(1865―1936)
中国の軍閥政治家。安徽(あんき)省出身。清(しん)末から袁世凱(えんせいがい)の腹心として北洋新軍の創設に努めた。辛亥(しんがい)革命後は、袁のもとで中華民国陸軍総長、国務総理などに就任。袁の死後、安福派(安徽派)の軍閥官僚を率いて、馮玉祥(ふうぎょくしょう)を頭とする直隷(ちょくれい)派と対立し、北京(ペキン)政府の実権を握るため、軍閥戦争を繰り返した。1917年から1918年にかけて、日本の寺内正毅内閣の援段政策と結び、西原借款などの援助を受け、南方革命派の弾圧を図った。1924年北京で臨時執政に就任。1926年には魯迅(ろじん)が「民国以来もっとも暗黒な日」といった三・一八事件で学生運動を弾圧。1928年、北伐完了とともに勢力を失い、上海(シャンハイ)で没した。
段祺瑞 【だんきずい】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E6%AE%B5%E7%A5%BA%E7%91%9E (2013/09/12確認)
世界大百科事典 第2版
だんきずい【段祺瑞 Duàn Qí ruì】 1865‐1936
中国の軍人。安徽省合肥の人。祖父の代から淮(わい)軍の将の家の出である。字は芝泉,号は正道老人。北洋武備学堂の第1期生を首席で卒業してドイツに留学,帰国して袁世凱のもとで新軍の創設につとめた。竜の王士珍,狗(いぬ)の馮国璋と並べて虎の段祺瑞と称された(北洋三傑)。中華民国の袁大総統のもとで陸軍総長を連任して実力をたくわえ,袁世凱の死後,3度国務総理となり,4年間にわたって北京の政権を掌握した。段政権は,二十一ヵ条要求以上にひどい日華共同防敵軍事協定などとひきかえの西原借款に代表される財政援助で維持されてきた親日政権だったから,第1次大戦の終了後,安直戦争に敗れて退場することになる。
だんきずい【段祺瑞】 国史大辞典
Tuan Ch'i-jui
一八六五 - 一九三六
中国の安徽派軍閥。字は芝泉、安徽省合肥の人。一八六五年生まれる。八五年、天津武備学堂卒業。ドイツに一年留学、砲兵学を専攻。九六年、袁世凱の麾下に入り、新建陸軍の砲兵学堂総弁となる。義和団事件がおこると、袁世凱に従って鎮圧にあたる。一九〇三年清朝中央に設置された練兵処に入り、王士珍・馮国璋とならんで、北洋三傑と称される。〇六年、保定軍官学校総弁となる。〇九年第六鎮統制(師団長)、翌年江北提督となる。一一年十月十日武昌挙兵で、辛亥革命始まるや、清軍の第二司令官として湖北に出陣、革命軍を破って漢陽を占領する。一方、北洋諸将領四十六人の名義で清帝の退位を要請する。袁世凱が大総統に就任すると、陸軍総長に任命される。一三年、第二革命を制圧し、湖北・湖南都督を兼任。ここまで一貫して袁世凱幕下で重要なポストを歴任するが、袁世凱が帝制復活を企図するや、これに反対して総長辞任。一六年袁世凱死後、国務総理兼陸軍総長となり、武力統一をめざす。一七年(大正六)八月、対ドイツ参戦の名義で日本に接近しつつ、参戦軍を編成する。寺内内閣は段祺瑞を日本の代理人に育成しようとし、いわゆる「西原借款」をはじめ、軍事的、経済的に援段政策をすすめる。この間、張勲の復辟運動がおこると、これを制圧する。しかし黎元洪と議員たちの反対にあい、一時、下野を余儀なくされる。一八年三月、奉天軍閥張作霖の支持をうけ、再度内閣を組織、いわゆる「安福国会」を召集する。同年五月民衆の反対を無視して、日中共同防敵軍事協定を結び、日本への依存を強める。二〇年安直戦争(安徽派と直隷派の内戦)では、直隷派曹錕・呉佩孚と張作霖の連合軍に敗れ、下野し、天津に移住す。二四年第二次奉直戦争(奉天派と直隷派の内戦)の時には、張作霖と馮玉祥軍に擁立され、十一月中華民国臨時執政となる。しかし、これは張・馮両派の勢力均衡の上に立ち、段の自力によるものではなかった。翌年善後会議を召集、孫文の国民会議、国民革命軍と対決し、二五年の五・三〇事件、二六年の三・一八事件などで、労働者・学生の反帝国主義運動を弾圧する。二五年の関税会議では関税自主権獲得運動に反対。二六年四月張作霖と馮玉祥の衝突となり、段祺瑞は下野。三三年引退し、上海に住む。国民政府から政府委員を任ぜられるが、受けず、三六年十一月廬山で病死する。七十二歳。
[参考文献]
ジェローム=チェン『軍紳政権―軍閥支配下の中国―』(北村稔他訳)、前田恵美子「段祺瑞政権と日本の対支投資」(『金沢大学経済論集』一二・一三)、山根幸夫・藤倉文子「日華軍事秘密協定と日・中の世論」(『東京女子大学紀要』三八ノ一)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国 (222 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 政治史.事情 (312 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000137067