レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/5/23
- 登録日時
- 2006/09/14 02:10
- 更新日時
- 2007/09/04 11:03
- 管理番号
- 埼久-2006-024
- 質問
-
解決
矢代秋雄(作曲家)が書いた三島由紀夫の自殺の雑誌記事を見たい。自殺は1970.11.25で、確か12月頃の週刊誌だったと思う。旅行に同行した時のことが書かれている。
- 回答
-
該当記事は見あたらなかった。
- 回答プロセス
-
以下のような探索方法で関係資料にあたった。
■週刊誌記事を探す
『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録 人名編』 「三島由紀夫」関連記事中に矢代秋雄の署名記事はなし。
1970年11月25日以降から翌年1月末までの週刊誌の現物内容を確認する。『週刊朝日』『サンデー毎日』『週刊文春』『週刊新潮』(「週刊読売」は所蔵なし)
《NDL-OPAC(雑索)》著者名〈矢代秋雄〉で検索。ヒットした記事は三島の自殺前のもののみ。
■矢代秋雄の著作(評論・エッセイ)
『オルフェオの死』『音楽における郷愁』『矢代秋雄音楽の世界』
■三島由紀夫関連の文献目録
『三島由紀夫全文献目録』『三島由紀夫 (書誌研究の会叢刊 1)』『資料三島由紀夫 再訂』『三島由紀夫「日録」』
なお、矢代が三島について書いた記事としては「音楽的「豊饒の海」論」(『読売新聞1970.1.20』)の1点が見つかったが、質問者はこれではないとのことだった。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 特種目録 (027 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 社会病理 (368 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 矢代 秋雄(ヤシロ アキオ)
- 三島 由紀夫(ミシマ ユキオ)
- 雑誌記事索引
- 自殺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
-
国会図主題情報部よりコメントをいただく(2007/02/03)。以下資料情報の本文
お探しの記事は、もしかすると、
「特別座談会 今だから話せる 素顔の三島由紀夫一家」(『女性セブン』1971.2.10 p30-32 当館請求記号 Z24-28)ではないでしょうか。
矢代秋雄が「書いた」記事ではありませんが、伊沢甲子麿、村松英子、矢代秋雄の座談会の記事で、矢代氏は、伊香保での乗馬クラブの遠乗り会に同行したときの思い出(三島由紀夫が歌手と間違われ、中学生にサインを求められたなど)を語っておられます。
『三島由紀夫没後参考文献目録稿』佐藤秀明編 1996.10非売品(KG574-G64)を調べました。この目録は、凡例によれば、「三島由紀夫に関する作家論・作品論・書評・演劇評・映画評・人物評・エッセイ・グラビア、及び関係記事等の、三島由紀夫没後のものを収録……1970年11月25日以降の関係記事・文献の目録」です。三島自決から、貴館でお調べになった読売新聞の記事までの期間には、他に該当するような矢代氏執筆の記事は見当たりませんでした。この目録のあとがきに、星合正敏氏の文献目録(平成6.11の増補版)を参照したとあるため、同氏の『三島由紀夫関係文献目録』1996.3(KG574-G31)を確認したところ、こちらにも採録されていました。
なお、佐藤氏の目録の配列は、記事の発表年月順で、索引がありませんが、星合氏の目録は、「著者名編、無記名・掲載誌編、人名索引、作品名索引、事項索引」という構成になっています。著者名編の「矢代秋雄」の項に採録されていたのは、昭和37年の記事、この座談会の記事、貴館でお調べの1972年の記事の3件のみでした。この目録には、三島に関する論文・記事で、没後25年の平成7年までに公表されたもののうち、現在(注:1996)でも入手が容易なもの、図書館での閲覧が可能なものが収録されているようです。
上記の目録は2点とも非売品のため、貴館でもご所蔵の『三島由紀夫全文献目録』夏目書房(KG574-G234)を確認したところ、当該記事については、「座談:素顔の三島一家 伊澤VS村松 他」とあり、矢代秋雄の名前は省略されていました。
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000030536