レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年10月04日
- 登録日時
- 2019/12/24 12:22
- 更新日時
- 2020/01/04 11:58
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-2532
- 質問
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解決
昭和55年当時に「岐阜市民体育館」と表記された施設があるが、これは「岐阜市民総合体育館」(昭和45年竣工)のことか、または「岐阜市民センター」(昭和28年竣工)にあったものか。
- 回答
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1 『岐阜市の教育』昭和55年度版(岐阜市教育委員会、1980年)p.53の「岐阜市公共体育施設一覧表」には、「岐阜市民体育館」、「岐阜市民総合体育館」、「岐阜市民センター」の3施設それぞれが挙げられているため、「岐阜市民体育館」は他の2施設とは別の施設として存在していたと考えられる。
2 『岐阜市史 通史編 現代』(岐阜市、1981年)p.909の「市民体育館(加納清水町)」の項目には、「青少年・市民の身体練磨の道場として、加納天満公園の清水川畔に昭和三三年(一九五八)二月建てられた市民体育館は、(中略)柔剣道・空手・ボクシング・レスリング・弓道場・シャワー・師範・防具室等を備えた岐阜市の中央体育館ともいうべき体育館で、昭和四五年九重町に市民総合体育館が設置された後も、地域住民や種目人口の道場としての使命を果たしている」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 地方自治.地方行政 (318 9版)
- スポーツ.体育 (780 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000271290