レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年4月24日
- 登録日時
- 2019/05/25 11:40
- 更新日時
- 2019/06/12 10:08
- 管理番号
- 島根郷2019-05-0001
- 質問
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解決
島根県出身の弁護士・岸清一は、明治45年のストックホルム・オリンピックのとき副会長として会長の加納治五郎を助け、日本選手団を送り込んだそうですが、そのことがわかる資料はありませんか。
- 回答
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当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。
資料1:p191-193に大日本体育協会設立の経緯の記述あり。
明治43年に国際オリンピック競技会から正式に参加要請を請け、翌44年7月に大日本体育協会が設立された。岸清一は武田千代三郎とともに加納治五郎会長を助け、会計監督となり、のちには副会長、大正10年には加納治五郎の跡を継ぎ、会長となった、とする。
p193-196にストックホルム・オリンピックからパリ・オリンピック時の記載あり。ストックホルム・オリンピックとパリ・オリンピック(大正13年)時は岸に関する記載なし。大正9年のアントワープ・オリンピック時には岸は派遣費用の調達に奔走したとの記述がある。
年譜(p466-482)のうち、p475-478に明治44年-大正12年の部分を載せる。明治44年に「大日本体育協会創立、其の維持員に就任」、大正5年に「大日本体育協会副会長に推薦」、大正10年3月に「大日本体育協会々長就任」とあり。
以上より、ストックホルム・オリンピックの時は副会長ではなく「維持員」として大日本体育協会に所属し、大正9年のアントワープ・オリンピック時に「副会長」として加納治五郎会長を助けた、が正しいようだ、と回答。
- 回答プロセス
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『島根の百傑』『島根県歴史人物事典』『島根県体育史』等には、大日本体育協会が誕生すると、加納会長を助け、会計監督・副会長、のちには会長となった、との記述はあるが、ストックホルム・オリンピックについての記述はなし。
- 事前調査事項
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質問者より:ある資料に「大日本体育協会副会長(のち会長)として加納治五郎初代会長を助け、明治45年(1912)の第5回ストックホルムオリンピックに初の日本選手団を送り込んだ。」と書いてあるが、その根拠となる資料が見たい。
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- スポーツ.体育 (780 8版)
- 参考資料
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岸同門会 編 , 岸同門会. 岸清一伝 復刻版. 大空社, 1988. (伝記叢書 34)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069360324-00 (当館請求記号 郷土貸出289.1/キ88)
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岸同門会 編 , 岸同門会. 岸清一伝 復刻版. 大空社, 1988. (伝記叢書 34)
- キーワード
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- 岸清一
- 大日本体育協会
- ストックホルム・オリンピック
- 加納治五郎
- 大日本体育協会
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000256336