レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年11月20日
- 登録日時
- 2007/11/20 16:46
- 更新日時
- 2012/04/27 15:44
- 管理番号
- 日向市-023
- 質問
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解決
富島幹線用水路と綾部市太について知りたい。
- 回答
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◇富島幹線用水路関連年表
大正10年9月 農林省土地利用班調査
昭和7年 耳川分水測量調査。
昭和8年 日知屋干拓工事完成。
昭和12年 綾部市太氏県議に当選。耳川分水実地踏査。
昭和13年 富島農業水利事業として農林省の採択を受ける。
昭和14年 富島耕地整理組合が設立される。組合長・林進士、副組合長・綾部市太、田中金助。
昭和15年 富島幹線用水路工事が、県営富島水利事業として着工。
昭和21年 右岸(財光寺)支線用水路工事着手。
昭和22年 左岸(日知屋)支線用水路工事着手。
昭和23年 右岸・左岸工事完成。
昭和36年 特別団体営土地改良事業として取水口、ずい道などの改修に着手。
昭和13年 特別団体営土地改良事業の完成。
◇綾部市太
明治21年2月21日生まれ。福岡県浮羽郡竹の村(現・久留米市田主丸町)出身。実家は苗木屋。
大正6年に日向市富高に移住し、苗木の育苗と販売を始める。昭和に入ってから敷地にツツジを植えはじめ「迎洋園」と呼ばれて花の名所となる。
昭和6年に日知屋干拓工事の認可が下り、門川の米良文治と共同でえん堤を作り干拓工事を進めた。
昭和12年に県議に当選。耳川分水実現のため尽力する。
- 回答プロセス
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当時、日向市史編さん室にいらっしゃった黒木豊氏に回答を依頼し資料「富島幹線用水路について」(4枚、A4資料)を頂いた。その中に綾部市太など尽力した人々についても詳細が記載されていたので、それを用いて回答した。また参考図書として『宮崎県土地改良史』p535~539、『耳川のめぐみ』、『日向市の歴史』、『つつじ萌ゆる丘 綾部市太敢闘35年史』を紹介した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 九州地方 (219 9版)
- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 農業 (610 9版)
- 参考資料
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- 『耳川のめぐみ』 杉本守/著 交旬社 2007年 (518031885)
- 『宮崎県土地改良史』 宮崎県農政水産部耕地課宮崎県土地改良史/編 宮崎県農政水産部耕地課 1978年 (519171615)
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『日向市の歴史』 甲斐勝/編著 日向市役所総務課 1973年 (519194989)
- 『つつじ萌ゆる丘 綾部市太敢闘35年史』 平賀儀雄/著 1962年 (519178933)
- キーワード
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- 富高幹線用水路
- 綾部市太
- 耳川分水
- 農業水利事業
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000039622