レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年04月27日
- 登録日時
- 2019/04/27 11:56
- 更新日時
- 2019/05/29 10:07
- 管理番号
- 162
- 質問
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解決
尼崎城天守の高さが知りたい。新聞報道などでは24メートルと発表しているが、尼崎市教育委員会が発行している「尼崎城の歴史」のパンフレットは、石垣(天守台)約12メートル、天守約18メートルと記されている。どちらが正しいのか。
- 回答
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新聞報道などで報じられている尼崎城は、平成30年(2018)に再建された尼崎城のことで、石垣部分を含めた高さが約24メートルとなります。
「尼崎城の歴史」のパンフレットで示される高さは、江戸時代の尼崎城天守を指します。尼崎市教育委員会によると、パンフレットに掲載した天守の建物の高さ(約18メートル)は、「尼崎城本丸櫓立面図」を参照して現在のメートル法に換算・算出したもので、平成30年(2018)に再建された尼崎城も、石垣より上の部分はこの数値を採用しています。また、石垣部分は江戸時代初期の記録に掲載された高さを換算・算出して約12メートルと記しており、再建された尼崎城は、この石垣部分については江戸時代のものより低く造られています。
尼崎市教育委員会発行のパンフレットに記した尼崎城天守の高さの根拠は以上のとおりですが、江戸時代の尼崎城の高さ等を記す史料は複数あり、史料によっては多少異なる数値が記録されています。
- 回答プロセス
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■尼崎城天守の高さを算定した論文と、論文中に紹介された史料
(1)桜井敏雄・松岡利郎「摂津尼崎城の建築」(尼崎市史研究紀要『地域史研究』第4巻第3号[通巻12号]、1975)
〇「尼崎城分間絵図」(桜井神社蔵)掲載の天守高さ
1階:1間半1尺6寸
2階:1間半1尺6寸
3階:1間5尺5寸
4階:3間2尺1寸
※1間を6尺5寸として換算すると、高さは56尺3寸=約17.06メートル
桜井・松岡両氏によると天守のような大建築は、1間を6尺5寸とることが多く、まれに7尺をとることがあるとのこと。
〇「城内・城下間数・家数書上げ」(「尼崎城惣郭楼石垣間数并城下町家数」『尼崎市史』第5巻)
御天守石垣: 高6間
御天守高台ヨリ四重目之桁上端迄:8間2尺
※1間を6尺5寸として換算
石垣:39尺=約11.8メートル
建物4重目の桁行き端まで=54尺=約15.75メートル
(2)松岡利郎「摂津尼崎城再考」(尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第22巻第1号[通巻64号]、1992)
〇「尼崎城本丸櫓立面図」(尼崎市教育委員会所蔵)
松岡氏によると、1/81.25スケール(史料には1/80との記載あり)の立面図で、ほぼ正確な縮尺のもの。
なお、「尼崎城の歴史」パンフレットは、天守の建物の高さについてはこの史料を採用、天守建物高さを計測し、縮尺から算出した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 日本の建築 (521)
- 参考資料
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- 尼崎市. 尼崎市史 第5巻. 尼崎市, 1974. (当館請求記号 219/A/ア-5)
- 桜井敏雄・松岡利郎. 摂津尼崎城の建築. 尼崎市立地域研究史料館, 1975. 尼崎市史研究紀要,地域史研究 4-3[12] p. 1~27
- 松岡利郎. 摂津尼崎城再考. 尼崎市立地域研究史料館, 1992. 尼崎市立地域研究史料館紀要,地域史研究 22-1[64] p. 1~20, ISSN 0910-8661
- キーワード
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- 尼崎城
- 天守
- 照会先
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- 尼崎市教育委員会
- 寄与者
- 備考
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レファレンス協同データベースへの記事掲載後、尼崎市立文化財収蔵庫(尼崎市教育委員会)に確認を依頼したところ、以下のような追加情報の提供がありましたので、追記します(2019年5月12日)。
尼崎城天守の高さを示した絵図に「尼崎城分間絵図」(櫻井神社所蔵、尼信会館寄託)があるが(上記桜井敏雄・松岡利郎「摂津尼崎城の建築」参照)、同絵図の天守2層目の数字は「一間半六寸」とあり、これを計算すると、全体の高さは約16.8mということになる。ただし、同絵図の数字は6尺5寸棹での実測値と見ているものの、どこからどこまでの高さを示したものかがよく分からず、また同絵図で採用されている長さの表現方法をどう解釈するか(たとえば「一間半」は概数なのか、9尺7寸5分のことなのか、なぜ1間5尺5寸を1間半2尺2寸5分としないのか、など)という点についても確証が得られず疑問が残る。そのため、同絵図については、文化財収蔵庫で尼崎城本丸模型作成時なども、記載の情報は参考値にとどめている。
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000255406