レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年11月22日
- 登録日時
- 2022/11/25 15:51
- 更新日時
- 2023/02/27 21:09
- 管理番号
- 県立長野-22-146
- 質問
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戦時中、疎開児童を受け入れた長野県北信地方の寺院を探している。その寺院には、児童の銅像があって、1年ほど前の『朝日新聞』の記事で写真を見た気がする。
- 回答
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『朝日新聞』令和3年(2021年)5月4日 13面(長野面)
「9条の碑 山寺が込めた非戦 中野・谷厳寺学童疎開の歴史」
中野市の谷厳寺にある二つの碑を紹介した記事。戦時中に東京都足立区の国民学校の女児40名を同寺
で受け入れた。1997年、本堂横に「疎開児童の碑」が建てられた。碑文のすぐ横に泣いている女児のレ
リーフがついている碑の写真が掲載されている。その数年後に憲法9条の碑が建てられたことも書かれ
ている。
問い合わせの寺院は、おそらくこの谷厳寺(こくごんじ)と思われる。龍厳山(りゅうげんざん)谷厳寺は、中野市赤岩332にある曹洞宗の寺院。
寺を紹介する資料として、次の資料を紹介した。
『須坂・中野・飯山の社寺』 郷土出版社 2007 【N171/48】 p.134-135
本尊や沿革などの記述がある。
『写真集 曹洞宗-長野県北信の寺院3-』
山邊睦夫撮影 グリーン美術出版 2008 【N181/210/3】p.107-110
本尊や沿革などの記述がある。また、上記資料よりも寺や仏像の写真が多い。
この2冊とも、碑の建立後の出版だが、碑の写真は掲載されていない。
- 回答プロセス
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1 当館契約の朝日新聞の記事データベース「朝日クロスサーチ」で「疎開」「児童」を地方版記事で検索し、絞り込み条件として「長野県」を追加する。97件ヒットした中で、過去1,2年の記事から該当しそうなものを見ていく。
2 長野県北信地方の寺で学童疎開を受け入れていたという記事は他にもあったが、児童の像と思われる写真があったものは回答の記事のみ。銅像ではなくレリーフだが、女児の全身が彫られているため、銅像のようにも見える。
3 寺院名がわかったので、『須坂・中野・飯山の社寺』を調べる。曹洞宗とある。
4 『写真集 曹洞宗-長野県北信-』の3冊から中野市周辺の巻を調べる。
5 『中野市誌歴史編(前編)』中野市誌編纂委員会編 中野市 1981 【N213/59/2】『中野市誌歴史編(後編)』中野市誌編纂委員会編 中野市 1981 【N213/59/3】を見たが、上記資料以上に詳しい沿革の掲載はなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188 10版)
- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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湯本軍一 監修 , 湯本, 軍一. 須坂・中野・飯山の社寺 : 北信濃の信仰と文化 : 保存版. 郷土出版社, 2007.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008524335-00 , ISBN 9784876638925 (【N171/48】 p.134-135) -
山辺 睦夫/撮影 , 山辺 睦夫. 曹洞宗 : 写真集 長野県 北信の寺院 3. グリーン美術出版, 2008-02.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058975448-00 , ISBN 9784990150556 (【N181/210/3】p.107-110)
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湯本軍一 監修 , 湯本, 軍一. 須坂・中野・飯山の社寺 : 北信濃の信仰と文化 : 保存版. 郷土出版社, 2007.
- キーワード
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- 学童疎開
- 太平洋戦争
- 疎開児童
- 中野市
- 谷厳寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000324645