レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年08月11日
- 登録日時
- 2012/11/16 09:23
- 更新日時
- 2013/01/15 16:12
- 管理番号
- 埼熊-2012-183
- 質問
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解決
次の事項について内容と時代背景を知りたい。
①斬白蛇起義 ②垓下の戦い ③張良暗殺 ④秦皇の死
- 回答
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関連する記述のあった、以下の資料を紹介した。
『漢の劉邦 ものがたり漢帝国成立史 研文選書 91』(堀敏一著 研文出版 2004)
『項羽と劉邦の時代 秦漢帝国興亡史 講談社選書メチエ 370』(藤田勝久著 講談社 2006)
上記の2冊と、4つのエピソードを1冊で読める以下の資料を紹介した。
『中国歴史文化事典』 (孟慶遠〔ほか〕編著 小島晋治訳 新潮社 1998)
簡潔な説明の用語辞典。②③④について関連記述あり。
『劉邦』(佐竹靖彦著 中央公論新社 2005)
①②③について記述があり。
『中国史 新版世界各国史 3』(尾形勇編 岸本美緒編 山川出版社 1998)
②について記述あり。
『図説中国文明史 4(秦漢) 雄偉なる文明』(劉〔イ〕編著 稲畑耕一郎監修 創元社 2005)
②について記述あり。
『中国武将列伝 上』 (田中芳樹著 中央公論社 1996)
劉邦、張良についての簡単な記述あり。
- 回答プロセス
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以下の資料は、出典となっている中国の歴史書。
『有朋堂文庫 〔56〕 通俗漢楚軍談』(塚本哲三編 有朋堂書店 1926)
①「劉邦芒碭山に虵を斬る」の節(p20)あり。
『新釈漢文大系 38 史記 1(本紀)』(明治書院 1984)
①「高祖本紀第8」に、高祖が亭長であったころ、豊県の西方の沢中で、大蛇を斬り、眠っている間に後から来たものが泣いている老婆に会い、白帝の子が赤帝の子に斬られたと告げられる場面(p510-512)あり。
③「秦始皇本紀第6」に、「盗賊のために驚かされた」が「張良が韓の仇を報いようとして、重さ120斤の鉄槌を揮う力士の助けを得て、始皇帝を博浪沙中で狙撃したが、誤って副軍にあたった(留候世家第25)(p337-339)」との記述あり。
④「秦本紀第5」に、王の名が、政、胡亥、子嬰である記述(p301)、秦始皇本紀第6に、始皇帝が死ぬ場面(p361-365)、子嬰の死について、仁義を人に施さず、権力武力のみに頼って民の怨みを買ったとの著者の論(p403-404)あり。
『新釈漢文大系 39 史記 2(本紀)』(明治書院 1985)
②「項羽本紀第7」に、「垓下の戦い」、「四面楚歌」を含む節(p493-499)、また、高祖本紀第8に、漢の5年、高祖は諸侯の兵と一緒に楚軍を撃ち、項羽と勝負を垓下で決めた場面(p560-561)あり。
④「項羽本紀第7」に、項羽が子嬰を殺し、秦の官室を焼いた記述(p464)あり。
『新釈漢文大系 87 史記 7(世家下)』(明治書院 1986)
③「留候世家第25」(p1039-1040)、始皇帝の狙撃の記述あり。
『中国古典新書続編 15 漢書列伝』(高木友之助〔著〕 片山兵衛〔著〕 明徳出版社 1991)
③「張良伝」の要約(p20-21)、書き下し文、解説、口語文訳(p21-108)あり。p85-86に始皇帝暗殺について記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国 (222 9版)
- 参考資料
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- 『漢の劉邦 ものがたり漢帝国成立史 研文選書 91』(堀敏一著 研文出版 2004)
- 『項羽と劉邦の時代 秦漢帝国興亡史 講談社選書メチエ 370』(藤田勝久著 講談社 2006)
- 『中国歴史文化事典』 (孟慶遠〔ほか〕編著 小島晋治訳 新潮社 1998)
- 『劉邦』(佐竹靖彦著 中央公論新社 2005)
- 『中国史 新版世界各国史 3』(尾形勇編 岸本美緒編 山川出版社 1998)
- 『図説中国文明史 4(秦漢) 雄偉なる文明』(劉〔イ〕編著 稲畑耕一郎監修 創元社 2005)
- 『中国武将列伝 上』 (田中芳樹著 中央公論社 1996)
- キーワード
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- 中国-歴史-秦時代
- 中国-歴史-漢時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000114092