レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年7月23日
- 登録日時
- 2019/06/14 15:24
- 更新日時
- 2019/11/06 11:49
- 管理番号
- 埼熊-2019-026
- 質問
-
未解決
鎌倉時代の初め、大阪にカワタという地名があった。そこでトラブルがあった人が桶川市の川田谷に来たらしいが、大阪でどのようなことがあって桶川に移ってきたのか知りたい。
- 回答
-
中世に大阪に「河田荘」があったことは確認できたが、質問に関連する記述のある資料は確認できなかった。
- 回答プロセス
-
1 地名辞典類を確認する。
『埼玉県地名誌 名義の研究』(韮塚一三郎著 北辰図書 1977)
p108「川田谷」に「土人は橘の郷箕田庄左近の里と称した(「武蔵国郡村誌」)」とあり。
『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1983)
p347-348「かわだのしょう 河田荘(東大阪市)」の項目あり。
「平安期-鎌倉期に見える荘園名」
「現在の東大阪市の加納に字地川田があることから(全志4)、加納付近に比定される。(布施市史1)」とあり。
『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1988)
p295-296「河田郷(かわたのごう)」「川田谷(かわたや)」の項目はあるが地名に関連する記述なし。
『埼玉県の地名 日本歴史地名大系 第11巻』(平凡社 1993)
p283-284「川田谷村」「河田郷」の項目はあるが地名に関連する記述なし。
2 地誌を確認する。
『武蔵国郡村誌 第3巻』(埼玉県編 埼玉県立図書館 1954)
p116-121「川田谷村」の項あり。
『新編武蔵風土記稿 [第4期]第8巻』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1996)
p55-57「川田谷村」の項あり。
3 市史等を確認する。
『桶川市史 第8巻 自然地誌編』(桶川市 1987)
p414-415「川田谷」あり。
『桶川市史 第1巻 通史編』(桶川市 1990)
p167-247 「第6章 武家社会の形成と打ち続く戦乱」
p171「足立氏一族河田谷氏」との記載あり。
p186「足立氏系図」に「遠村 号河田谷」とあり。
p219「河田郷はその名から現在の桶川市川田谷付近と推定される。この河田郷は、足立遠元の第五子遠村が領し、」とあり。
『泉福寺 桶川 さきたま文庫 43』(吉川国男文・写真 さきたま出版会 1993)
p15-22「信尊上人と河田谷殿」の項あり。
p14-15「足立系図に遠村 号河田谷との添え書きがあり、、その父足立遠元は頼朝の家臣だった」とあり。
p15-16「本朝高僧伝」からの引用あり。「河田谷殿」を足立遠村もしくはその子との関係の記述あり。
4 《Google》(https://www.google.co.jp/ Google)で〈足立氏〉を検索する。
《Wikipedia》(https://ja.wikipedia.org/wiki ウィキメディア財団)
「足立遠元」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E9%81%A0%E5%85%83)
『尊卑分脈』によると藤原北家魚名流の藤原山蔭の後裔であり、安達盛長は遠兼の弟としている。
「遠元以前の系譜は曖昧ではっきりしない。」 とあり。
『新編埼玉県史 別編4 年表・系図』(埼玉県 1992)p68-72に系図では藤原北家勧修寺流の藤原朝忠の後裔との記述あり。
5 埼玉県史を確認する。
『新編埼玉県史 別編4 年表・系図』(埼玉県 1992)
p68-72 足立氏系図あり。
『新編埼玉県史 資料編2』(埼玉県編 埼玉県 1988)
p780「河田郷」 桶川市川田谷あたりと比定される。享徳六年(1457)4月13日の鎌倉円覚寺塔頭黄梅院領知行注文のなかに河田村もあげられているとあり。
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2016年7月23日。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 地理.地誌.紀行 (290 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 川田谷(カワタヤ)
- 桶川市-埼玉県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000257500