レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年01月19日
- 登録日時
- 2010/01/19 17:53
- 更新日時
- 2011/04/10 16:20
- 管理番号
- 鳥県図20090083
- 質問
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解決
鳥取に滞在した江戸時代の国学者・歌人の衣川長秋について、(1)伊勢から鳥取に赴いた年、(2)衣川長秋の母が没した年、(3)越後柏崎の鵜川神社宮司「布施吉政」が衣川長秋に出した書簡の有無を知りたい。
- 回答
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(1)寛政12年11月に鳥取に来るが、いったん伊勢に戻り、鳥取藩から滞留が認められたのは享和3年。
(2)(3)不明
- 回答プロセス
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1 衣川長秋が伊勢から鳥取に赴いた年
・山本嘉将『近世和歌史論』(昭和33年、文教図書出版)
P505 「寛政十二年十一月、三十五歳の青年学徒ははるばる鳥取に下向して、樗谿神社の神官永江遠江守縁故の者として逗留を届出た。(中略)いよいよ鳥取に留まって正式に塾を開くことを認められたのは享和三年十一月から」
・『鳥取藩史』第1巻(昭和44年、鳥取県立鳥取図書館)
P359 「長秋は鈴屋の高足にて、其名世に聞え道(国本)道男も嘗て熟聞する所なり。大に喜び来遊の約直に成り 遂に相伴て鳥取に帰る。時に享和三年なり。」
・『鳥取県史』第5巻(昭和57年、鳥取県)
P67 「寛政一二年一一月、三五歳の青年学徒は、はるばる鳥取に下向して、東照宮の神官永江遠江守縁故の者として逗留を届け出た。(中略)そして、翌享和元年再びやって来た。(中略)藩から正式に長秋の滞留が認められたのは、前述したように、『因府年表』の記す如く、享和三年一一月一四日であった。」
2 衣川長秋の母が没した年
上記文献を確認したが、不明。
3 越後柏崎の鵜川神社宮司「布施吉知」が衣川長秋に出した手紙の有無
『近世和歌史論』の著者である山本嘉将氏はかつて衣川長秋関連資料を所蔵していた(稲葉文庫)が、当文庫は現在東洋大学で所蔵。
東洋大学附属図書館のホームページにある蔵書検索画面でフリーワード欄に「衣川長秋」と入力して検索すると、衣川長秋の書簡が数点所蔵されていることが分かるが、布施吉知から衣川長秋へ宛てたものは見当たらない。
東洋大学附属図書館ホームページ
http://www.toyo.ac.jp/library/
※2010.1.19検索
国文学研究資料館ホームページ上にある日本古典籍総合目録で「布施吉政」で検索
→衣川長秋宛書簡はなし。
日本古典籍総合目録
http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/about.html
※2010.1.19検索
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911 9版)
- 蔵書目録.総合目録 (029 9版)
- 中国地方 (217 9版)
- 参考資料
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- 山本嘉将『近世和歌史論』(昭和33年、文教図書出版) (911/ヤマモ/県人)
- 『鳥取藩史』第1巻(昭和44年、鳥取県立鳥取図書館) (209.2/78-1/郷土)
- 『鳥取県史』第5巻(昭和57年、鳥取県) (209/12-5/郷土)
- キーワード
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- 衣川長秋
- 稲葉文庫
- 国学者
- 鳥取藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000062079