レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年06月06日
- 登録日時
- 2018/07/12 11:10
- 更新日時
- 2019/12/19 11:46
- 管理番号
- 埼熊-2018-020
- 質問
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解決
秩父の大陽寺について、いつ開かれたかや開祖について知りたい。また、開祖が大陽寺の景色について詠んだ歌があるようなのでそれも知りたい。
- 回答
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下記の資料を紹介した。
大陽寺の景色を詠んた歌は確認できなかった。山の景色を言い表わした文章が記載された資料を紹介した。
1 開かれた時期、開祖について
『大滝村誌 下』(秩父市大滝村誌編さん委員会編 秩父市 2011)
p49-60「一 大陽寺」 大陽寺について説明あり。巻末に参考文献あり。
『埼玉宗教名鑑』(産報通信社出版局編 埼玉新聞社 1978)
p396「太陽寺(臨済宗建長寺派)」あり。
「由緒」に、「弘仁年間(810-824年)、弘法大師の開創と伝えられる。」とあり。
「その後、徳治2年(1307年)に後嵯峨天皇第3王子・佛国広済国師が勧請開山となった。中興開山は天文10年(1541年)9月25日に入寂した法庵宗源和尚である。」とあり。
『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』(埼玉県佛教会監修 千秋社 2001)
p289「大陽寺」あり。
「寺院解説」に「平安時代初期の弘仁年間に(八一〇-二四)、弘法大師により真言宗として開創されたと伝えられている。その後、鎌倉時代の正和二年(一三一三)、後嵯峨天皇の第三皇子・佛国應供廣済国師を開山として今日の禅宗に変わった。」とあり。
『埼玉叢書 第6巻』(稲村坦元編 国書刊行会 1972)
p142-145「東女人高野鬚僧大師略伝記」
大陽寺を開創するに至った神秘伝説あり。
『新編武蔵風土記稿 [第4期]第12巻 大日本地誌大系18』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1996)
p316-319「大陽寺」
p316「同所大日向山にて、一区の境界をなせし小道場なり、中頃袋養寺と書しが、又もとのごとく今の文字を用ゆ(中略)臨済宗にて鎌倉建長寺末なり(中略)開山仏国国師(中略)寺記の略伝に曰、武州秩父郡東女人高野、大日向山大陽寺、開山鬚僧大師は諱は顕日と云」とあり。
p317 「東女人高野鬚僧大師略伝記」(『埼玉叢書 第6巻』)と同様の記述あり。
2 山の景色についての文章
『埼玉叢書 第6巻』(稲村坦元編 国書刊行会 1972)
p142「師の曰、嗚呼眞に我か終焉の地なり。人跡不到にして、峯は八葉を頒ち、谷は清浄の流れなり。たとへ南紀高野の幽趣なりとも東武此山の妙景にいつれと。」とあり。
- 回答プロセス
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1 埼玉県の寺社に関する資料を確認する。
2 村史を確認する。
『大滝村誌 下』より、大陽寺を開山したのは「鬚僧大師」であることが分かる。
3 自館目録で〈鬚僧大師〉を検索する。
4 『新編武蔵風土記稿』を確認する。
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2018年6月6日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 寺院.僧職 (185 9版)
- 地理.地誌.紀行 (290 9版)
- 参考資料
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- 『大滝村誌 下』(秩父市大滝村誌編さん委員会編 秩父市 2011)
- 『埼玉宗教名鑑』(産報通信社出版局編 埼玉新聞社 1978)
- 『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』(埼玉県佛教会監修 千秋社 2001) , ISBN 4-88477-273-3
- 『埼玉叢書 第6巻』(稲村坦元編 国書刊行会 1972)
- 『新編武蔵風土記稿 [第4期]第12巻 大日本地誌大系18』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1996) , ISBN 4-639-00017-0
- キーワード
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- 大滝村(埼玉県)
- 寺院-埼玉県-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000238424