レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/03/31 17:58
- 更新日時
- 2023/03/31 17:58
- 管理番号
- 0001003625
- 質問
-
解決
沖縄戦で最初に艦砲射撃が行われた日を知りたい。
- 回答
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以下の資料を案内した。これらより、沖縄戦で最初に艦砲射撃が行われたのは「1945(昭和20)年3月24日」であると考えられる。
①
『沖縄県史 第6巻 各論編6 沖縄戦』(沖縄県教育庁文化財課史料編集班/編 沖縄県教育委員会 2017.3)
p105 「一九四五年(昭和二〇)三月二十三日、米軍機動部隊から発進した艦載機が…南西諸島全域を空襲した…二十四日からは本島南部地域に約七〇〇発の艦砲射撃も加わった。」とある。
p291 「多くの中南部住民は、米軍の艦砲射撃が始まった三月二三日から…歩き出した。」とある。
②
『南城市の沖縄戦 資料編』(『南城市の沖縄戦資料編』専門委員会/編 南城市教育委員会 2020(令和2).3)
p584 「一九四五年(昭和二〇)三月二三日、沖縄近海に来た米軍機動部隊から発進した艦載機が沖縄全域を空襲した。翌二四日からは南部地域への艦砲射撃も始まった。このことを、玉城村を中心に知念半島に駐屯していた独立混成第四十四旅団(以下、旅団に略)は、「三月二三日朝来、敵機動部隊による空襲、二四日午前九時頃には湊川[現 八重瀬町港川]及び知念半島に対し最初の艦砲射撃があった。」とある。
p619-620 「上陸(一九四五年四月一日)の八日前の三月二十四日、海上からの上陸支援として艦砲射撃が始まった。上陸前七日間で、米軍は読谷・嘉手納の上陸地点、慶良間、那覇、知念半島、喜屋武岬などに向けて五一六二トンの砲弾を発射したという…第五九・七・一機動部隊(Task Unit 59.7.1 第七戦艦梯隊)の報告書によると、三月二四日八時五〇分から十四時三〇分までの間、知念半島と久高島を標的とした艦砲射撃が行われた。放たれた砲弾は五一〇発にものぼった。」とある。
③
『沖縄県民斯ク戦ヘリ 大田実海軍中将一家の昭和史』(田村 洋三/著 光人社 2007.7)
p363 「…二十四日からは押し寄せた戦艦八隻、駆逐艦二十七隻からの艦砲射撃が、本島南部や中城湾に叩き込まれた。」とある。
④
『沖縄 Z旗のあがらぬ最後の決戦』(吉田 俊雄/著 オリオン出版社 1969.10)
p99 「三月二十四日午前六時半ころ、沖縄本島南西沖合いに、米戦艦以下約三〇隻の白い姿が浮かび上がった…巨大な最新鋭戦艦軍が、駆逐艦一一隻を従えて、東から西へ悠々と移動しながら、四一センチの巨砲四五門と、二〇センチ砲一〇〇門の砲口を揃えて打ちこんできた。」とある。
【インターネット情報】
⑤「写真が語る沖縄」<沖縄県公文書館(2022年9月26日現在)
→「沖縄本島を砲撃する戦艦ノースカロライナ(BB-55)」の写真がある。撮影日は「1945年3月24日」となっている。
http://www2.archives.pref.okinawa.jp/opa/SearchPicsDetail2.aspx?pid=62512&kword=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A&cont_cd=0000080553
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 沖縄県史 第6巻 各論編6 沖縄戦 沖縄県教育庁文化財課史料編集班/編 沖縄県教育委員会 2017.3 (p105、291)
- 南城市の沖縄戦 資料編 『南城市の沖縄戦資料編』専門委員会/編 南城市教育委員会 2020(令和2).3 (p584、p619-620)
- 沖縄県民斯ク戦ヘリ 大田実海軍中将一家の昭和史 田村 洋三/著 光人社 2007.7 (p363)
- 沖縄 Z旗のあがらぬ最後の決戦 吉田 俊雄/著 オリオン出版社 1969.10 (p99)
- キーワード
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- 沖縄戦
- 艦砲射撃
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000331323