レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 千葉県立西部図書館 (2120003) | 管理番号 (Control number) | 千県西-2022-0001 | ||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2022年05月30日 | 登録日時 (Registration date) | 2023年02月05日 09時16分 | 更新日時 (Last update) | 2023年02月05日 11時37分 | ||||
質問 (Question) | 旧佐倉藩堀田家が明治10年代から20年代に現在の墨田区須崎に「七松園」という別邸を所有していた。「七松園」が堀田家の別邸であった期間の前後の事情がわかる資料を探している。 | ||||||||
回答 (Answer) | 「七松園」が堀田家の所有になる前のことについて、【資料1】には、「紅屋」という富豪が作った家で、後に「遠藤某」(元・金座の職工長)が投扇の遊興店「田毎」を営業していたと記述があります。 「七松園」の堀田家の所有ではなくなった後のことについて、【資料2】には明治20年代に焼失や水害に遭い、明治30年代に日本園芸会員に買い取られて日本園芸会を開いたとあり、【資料3】にはその後の震災・戦災で損壊したとあります。 【資料1】『学海日録』(全12巻 岩波書店 1991-1993年) 明治9年7月14日の日記(第3巻p365-366)に弘福寺のうしろに「田毎」という投扇の遊びや食事ができる店があり、主は「遠藤某」という、「もと金座の職工長」とあります。 明治11年5月1日の日記(第4巻p121)に堀田正倫が「遠藤某」の家を購入したこと、元々は「紅屋」という富豪が作った家とあります。 【資料2】「明治庭園記」p166-172(『明治園芸史』所収 日本園芸研究会編・出版 1915年) 「七松園」のその後について、「第三期の末ころ」に焼失や水害にあい、七株の古松や八重楼などの人目を惹くものは全てなくなり、その後売却になったこと、「第四期の間」に、日本園芸会会員の某氏が購入し、新屋を建て、旧園を改修して、某年の秋に人を招いて日本園芸会を開いたとあります。 引用中の時代区分は同書p150より 第一期 明治紀元より、同十年末に至るまでの九歳三箇月間。 第二期 明治十一年より、同二十年末に至るまでの十歳間。 第三期 明治二十一年より、同三十年末に至るまでの十歳間。 第四期 明治三十一年より、同四十年末に至るまでの十歳間。 第五期 明治四十一年より、大正紀元に至るまでの四歳七箇月。 【資料3】『日本の肖像 第2巻 旧皇族・華族秘蔵アルバム』(毎日新聞社 1990年)p86-87 「七松園」は、「明治12年6月に、向島須崎村に購入し、佐倉へ移るまで使用した」、「震災・戦災で大きな痛手をこうむり」とあります。また、『墨東外史すみだ』からの引用として、「弘福寺の東隣りにあり、幕末には某氏の別荘だったのを堀田家が改築したものだとする。」とあります。 インターネット最終アクセス:2022年10月12日 | ||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1 「佐倉」や「堀田」をキーワードに千葉県立図書館の蔵書検索を行う。検索結果から【資料3】や、その他記述を見つけられなかった資料(後掲)を調査した。 2 次に東京や墨田区に関する資料で、「国立国会図書館デジタルコレクション」図書館個人送信で閲覧可能な資料のうち次の資料を調査した。 『墨田区史 本編』(東京都墨田区 1959年)(「国立国会図書館デジタルコレクション」 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3041821 )には、「七松園」は、「旧佐倉藩主堀田正倫が須崎弘福寺門前に営んだ別業」で、「正倫は明治20年に没して退転した。」(※)とある(p1664)。(※)「堀田正倫」の没年は明治44年。(『国史大辞典』) 『東京市史稿 遊園篇第6巻』(東京市役所 1936年、臨川書店 1974年)(「国立国会図書館デジタルコレクション」 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/ 1915809)には、「堀田氏「七松園」は、購入の時期は不明。正倫が帰郷した明治20年までは所有していただろうとあり(p375)、【資料2】からの引用があった。【資料2】には、「七松園」のその後について記述があり、また、「旧佐倉藩臣依田学海」が「七松園」について記述していることがわかった。 3 全項目「依田学海」で千葉県立図書館の蔵書検索を行う。【資料1】の別巻索引を「七松園」「堀田正倫」で検索する。「七松園」の検索結果からは、前後の事情がわからなかったため、改めて「堀田正倫」で索引を引いたところ、堀田氏の購入する以前の「七松園」について記述があった。 4 その他、新聞のデータベースを「七松園」で検索した。ヒットした件数は、「ヨミダス歴史館」2件、「朝日クロスサーチ」0件、「毎索」0件、「産 経新聞データベース」0件、「日経テレコン」0件だった。事情のわかる情報は、見つからなかった。 【記述を見つけられなかった資料】 ・『伯爵堀田公事跡略』(藤井善言述 1911年)p2 ・『堀田正倫』(佐倉市教育委員会 2005) ・『堀田正倫 佐倉市郷土の先覚者』 (佐倉市教育委員会 1993) ・『佐倉市史 第2巻』(佐倉市史編さん委員会編集 佐倉市 1973年)p801 ・『千葉県の歴史 通史編 近世2』(千葉県史料研究財団 2002年)p79-80 ・『本所区史』(東京市本所区編集・発行 1931年) 旧所名跡の項や、長命寺、弘福寺の項。 「国立国会図書館デジタルコレクション」図書館個人送信資料 ( https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3438361 ) ・『大日本国誌 東京』(内務省地理局編 ゆまに書房 1988年復刻 ) 第1巻の本所区、第2巻の寺院、第3巻旧跡の項。 ・『東京遊行記 文学地誌「東京」叢書 3』(大空社 1992年復刻) ・『南葛飾郡誌』(東京府南葛飾郡誌編纂 南葛飾郡役所 1923年 1988年復刻) ・「五千分一東京図測量原図」(内題)東京府武蔵国浅草区須賀町及本所区横網町近傍 (複製 原本書誌事項:参謀本部陸軍部測量局 明治17) 向島は範囲外でした。「所蔵地図データベース」(国際日本文化研究センター) ( https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/map_detail.php?id=002275675-0005 ) | ||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||
備考 (Notes) | |||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||
登録番号 (Registration number) | 1000328594 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |