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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
沖縄県立図書館 (2110045)管理番号
(Control number)
0001003619
事例作成日
(Creation date)
2020年10月19日登録日時
(Registration date)
2023年01月27日 10時41分更新日時
(Last update)
2023年01月27日 10時43分
質問
(Question)
弁ヶ岳にあったとされる定水和尚の墓について、その場所や広さについて手掛かりとなるような資料はあるか。
回答
(Answer)
以下の資料を案内した。
資料②より、蓮華院(昔の万松院)に定水和尚の位牌が安置されていたことがわかる。
資料③、⑤、⑥より、弁ヶ岳の近くに「坊主墓」と呼ばれていた墓がある。
資料⑦より、弁ヶ嶽の近くに小さな森のようなものがあり、そこには石仏が安置されていた。
資料⑨の写真には、この森と思われるものが写っていることを確認することができる。
なお、資料②に記載されている「百ガナイ」については、資料⑩より「貢租のことを「かなひ」という」とあることから、その広さか石高を示している可能性がある。


『琉球仏教史の研究』(知名 定寛/著 榕樹書林 2008.6)
 「隠遁僧定水と遁世僧□翁」(□はくにがまえの中に「カ」)(p289-292)
p290-291 「…一六八七年…定水は生存中であった可能性もあるし、そうでなくとも、滅後さほど年月は経過していなかったであろう…かくも後世の人々から追慕された定水であるが、実は彼に関する確かな史料は存外残されていない。」とある。
p291 「…彼は首里新城家の祖先で、王府の重職にあったが、寛文五(一六六五)年…出家して定水と号し、塩屋湾の一隅に隠棲した、というのである。」とある。


『沖縄縣國頭郡志』(島袋 源一郎/著,国頭郡教育会/編 3版 沖縄出版会 1967.11)
p442-443 「寺屋敷」の項目で、「定水は首里新城家の祖先にして王府に仕へ重職に在りし人なりき…定水は住生の後首里弁ヶ岳の下なる拝領の墓に葬られ其祭祀料として百ガナイの土地を賜はれり。該地所は今其位牌を安置せる蓮華院(古への万松院)の有に帰せりといふ。」とある。


『首里の地名 その由来と縁起』(久手堅 憲夫/著 第一書房 2000.10)
p241 「14 万松院」の項目に、「この万松院も往時の伍徳院の寺域である。万松院は、当初尚寧王代の名僧□翁禅師の隠居寺岩頂山万松院として、現敷地の向いの地に創建されたものである…円覚寺の長老を隠退した脱心和尚が隠居寺万松院の三世として入った際、万松院の院号を、高弟で天王寺住職を退いた東峰和尚に譲り、自らの寺は、一六八三年尚貞の冊封使王楫の命名になる妙法山蓮華院と改称したとされる。」とある。
p331-332 「16 坊主墓(ボージバカー)」の項目に、「この地は、首里古地図に依ると浄聖庵の地と比定することができる。沖縄戦を凌いで遺った坊主墓も、管理者によって破却され…」とある。


『琉球国絵図史料集 天保国絵図・首里古地図及び関連史料 第3集』(琉球国絵図史料集編集委員会/編,沖縄県教育庁文化課/編 沖縄県教育委員会 1994.3)
p98-99 「首里古地図」の中に「当蔵町 66 伍徳院」が図示されている。


『那覇の民俗編集ニュース 1975-78年(昭和50-53年)[複製本] 1-28,30』(那覇市企画部市史編集室/編 沖縄県立図書館 2012.3)
No.12のp5 「鳥堀町 古来上下の尊信篤い弁カ嶽」(当間 諭/著)の中で、「〇カリヤーガー 弁カ嶽から右に芋畑の中にそこだけ雑木に覆われた坊主墓(ボージバカ)があり…」と記載されている。


『那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗』(那覇市企画部市史編集室/編 那覇市役所 1979(昭和54).1)
付属資料「旧首里の歴史・民俗地図」にて、弁ヶ嶽(ビンヌウタキ)の左上に「坊主墓」が図示されている。また、沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫に収録されている『首里古地図』と照らし合わせると、この付近に「智福院」と「浄聖庵」の存在が確認できる。


『思出の沖縄』(新崎 盛珍/著 複刻再版 二葉会,新崎先生著書出版記念会 1976.2)
p113-114 「埋れた石仏」の項目で、「弁ヶ嶽の手前、道路の北方に当って、傾斜せる畑地の上方にこんもり一叢の樹立の見える地所が有る…或日其の正体を突止めようと思って踏査に及んだ。墓地であった…此の異風の二つの墓が小暗い樹陰に静まり返って居る所が珍しく眼を惹くのに、更に眼を配って能く視ると、墓地の一隅―方桁屋根の墓の傍に、美しい石仏が安置されて居るではないか。」と記載されており、この墓に仏像が安置されていたことがわかる。


『沖縄一千年史』(真境名 安興/著,島倉 龍治/著 5版 琉球史料研究会 1966.12)
p271 「天王寺」の項目に「末寺に…蓮華院…智福院…あり。」とある。


『弁ヶ嶽 -遺構確認調査報告-』(那覇市市民文化部文化財課/編 那覇市 2017(平成29).3)
p89 「Figure 6 戦前弁ケ嶽周辺航空写真」で、弁ヶ嶽から見て東北東の方に小さい森のようなものが写っているのを確認できる。

【補助資料】

『沖縄古語大辞典』(沖縄古語大辞典編集委員会/編 角川学芸出版,角川グループパブリッシング(発売),デジタルパブリッシングサービス(印刷・製本) 2011.9)
p200 「かなひ【貢】」の見出しがあり、「貢租。ノロ(神女)や按司(支配者)及び王への貢租を「かない」または「みかない」「みつぎ」といった。」と記載されている。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
『琉球妙心寺派末寺 禅宗史略伝』(ID:1002763108)のp43に、定水和尚の墓が弁ヶ岳にあったと記載されている。
NDC 
参考資料
(Reference materials)
琉球仏教史の研究 知名 定寛/著 榕樹書林 2008.6 (p290-291)
沖縄縣國頭郡志 島袋 源一郎/著,国頭郡教育会/編 3版 沖縄出版会 1967.11 (p442-443)
首里の地名 その由来と縁起 久手堅 憲夫/著 第一書房 2000.10 (p241、p331-332)
琉球国絵図史料集 天保国絵図・首里古地図及び関連史料 第3集 琉球国絵図史料集集委員会/編,沖縄県教育庁文化課/編 沖縄県教育委員会 1994.3 (p98-99)
那覇の民俗編集ニュース 1975-78年(昭和50-53年)[複製本] 1-28,30 那覇市企画部市史編集室/編 沖縄県立図書館 2012.3 (No.12 p5-6)
那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗 那覇市企画部市史編集室/編 那覇市役所 1979(昭和54).1 (付属資料「旧首里の歴史・民俗地図」)
思出の沖縄 新崎 盛珍/著 複刻再版 二葉会,新崎先生著書出版記念会 1976.2 (p113-114)
沖縄一千年史 真境名 安興/著,島倉 龍治/著 5版 琉球史料研究会 1966.12 (p271)
弁ヶ嶽 -遺構確認調査報告- 那覇市市民文化部文化財課/編 那覇市 2017(平成29).3 (p89)
沖縄古語大辞典 沖縄古語大辞典編集委員会/編 角川学芸出版,角川グループパブリッシング(発売) (p200)
キーワード
(Keywords)
定水和尚
坊主墓
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000328002解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決

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