レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年09月30日
- 登録日時
- 2022/10/06 16:01
- 更新日時
- 2022/10/06 16:01
- 管理番号
- いわき総合-地域682
- 質問
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解決
江戸時代、磐城平藩で収穫された年貢米は、藩内で消費する以外はどのように換金されたのか。以下の3点が知りたい。
①手段(馬車・荷車・千石船など)
②経路(陸路・水路)
③最終的にどこに運搬されたのか
- 回答
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当館所蔵資料のうち、次の【資料①】~【資料④】に質問内容に関する記述が確認できました。
【資料①】『福島県史 第3巻』(福島県 1970)
【資料②】『磐城平藩政史』(鈴木光四郎 磐城平藩政史刊行会 1970)
【資料③】『いわき市史 第2巻』(いわき市史編さん委員会 いわき市 1975)
【資料④】『新しいいわきの歴史』(いわき地域学会出版部編集委員会 いわき地域学会出版部 1992)
上記資料によると、①~③については以下のとおりです。
①手段
水路については「小船」「高瀬船」等の記述が確認できました。(【資料③】p145,【資料④】p174)
陸路については具体的な手段(馬車・荷車等)の記述は確認できませんでした。
②経路
陸路・水路どちらも使われていたようです。各資料の記述は以下のとおりです。
【資料①】p77~78 (※【資料②】p146,p305に同様の記述有)
・「(1)正徳三年」より「廻米ルートは平―小名浜―常陸蝦沢―吉景―串挽(利根川利用)―江戸の陸路と、小名木川屋敷より江戸浅草御蔵までの海路とがあった」
・「(4)文政元年」より「磐城領楢葉の廻米は、江の網浜・山田浜より銚子へ、奥州白川領や岩城領の廻米は、小名浜・平潟より銚子へ送られた」
【資料③】p145,p353 (※p145について、【資料④】p174に同様の記述有)
・「運送は浜々の小船に積み立て、常陸国那珂湊に入り、それより海老沢河岸に至り、この河岸から陸上げして吉影という所まで陸路運送し、そこから小舟で串挽河岸まで積出し、ここで高瀬船に積替えて江戸まで送ったものである」
・「文政元年(一八一八)奥州磐城幕府領楢葉の廻米は、江之網浜・山田浜より、奥州白河領や磐城領の廻米は、小名浜―平潟(茨城県北茨城市)より銚子―江戸へ輸送された」
③最終的にどこに運搬されたか
「②経路」のとおり、江戸に運搬されたと思われます。
- 回答プロセス
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上記調査のとおり
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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福島県. 福島県史 第3巻 (通史編 第3 近世2). 福島県, 1970.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001209418-00 (K-210.1-0-フ-・1110037841) -
鈴木光四郎 著 , 鈴木, 光四郎. 磐城平藩政史. 磐城平藩政史刊行会, 1970.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001211876-00 (K-210.5-1-ス-・1111933931) -
いわき市史編さん委員会 編 , いわき市. いわき市史 第2巻. いわき市, 1975.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001225030-00 (AL-210.1-1-イ-・1111541817) -
いわき地域学会出版部編集委員会 編 , いわき地域学会. 新しいいわきの歴史 第3版. いわき地域学会出版部, 1992. (いわき地域学会図書 ; 10)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002218527-00 (K-210.1-1-ア-・1110161773)
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福島県. 福島県史 第3巻 (通史編 第3 近世2). 福島県, 1970.
- キーワード
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- 磐城平藩
- 年貢米
- 廻米
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000322340