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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
北九州市立中央図書館 (2210015)管理番号
(Control number)
北九2022八幡10一般
事例作成日
(Creation date)
登録日時
(Registration date)
2022年03月29日 17時20分更新日時
(Last update)
2023年02月07日 10時46分
質問
(Question)
昭和20年8月8日八幡大空襲について、次の3つのことが知りたい
1.当日の爆撃の始まりの時間
2.米軍の爆撃機の数
3.長崎大村航空隊が北九州へ遊撃した事実があるか。また、その時米軍機を迎撃した数
回答
(Answer)
1.当日の爆撃の始まりの時間
 午前10時01分(B29爆撃開始時間)

2.米軍の爆撃機の数
  B29:221機
  P47:158機

3.長崎大村航空隊の遊撃事実を記した文献は見つかりませんでした。ただ、長崎大村航空隊は、「大村海軍航空隊」のことではないかと思われるので、「大村海軍航空隊」調べてみました。
海軍では、地名の航空隊は練習・錬成部隊であり、番号の航空隊は実戦部隊とされていました。しかし、昭和20年3月1日、練習・錬成の航空隊はすべて解隊され、海軍航空隊は全部実戦部隊となり、大村海軍航空隊は沖縄戦終盤の昭和20年5月5日に解体されています。そのため、8月8日の八幡大空襲の際に「大村海軍航空隊」での出撃はないと思われます。
ただし、当時の大村には三四三航空隊と三五二航空隊がおり、八幡を空襲した米軍には、日本軍の戦闘機55~65機が目撃されています。『郷土史・八幡空爆Ⅲ 八幡焼亡二十・八・八』では、米軍に目撃されている戦闘機のうち、「雷電」が三五二航空隊、「紫電改」が三四三航空隊のものであると推測されています。三五二航空隊の出撃数は分かりませんでしたが、三四三航空隊司令の源田実氏の著書『海軍航空隊始末記』には、8月8日に約300機の敵に対して24機で邀撃したことが記されています。
回答プロセス
(Answering process)
八幡市史をはじめ、八幡大空襲に関する本を検索。

空襲の開始時間については、『八幡市史 続編』、『わが故郷八幡』、『あの日、八幡で何が起こったか』、『あの日、八幡で何が起こったか 第2集』、『黒崎之里 第12号』に掲載されている八幡大空襲を体験した多くの人の手記から、午前10時ごろであることが分かります。また、『米軍資料北九州の空襲』p167には、最初に八幡に爆弾を投下した時刻が10:01とありますので、手記に書かれている午前10時ごろという記述はおおむね正しい時刻と言えます。


米軍の爆撃機の数については、『黒崎之里 第12号』p87に「狭い八幡の市街に二百二十一機ものB29が襲ってきたことがはっきりしているが」とあります。また『米軍資料北九州の空襲』p167に爆弾を投下したB29の合計が221と記されているため、B29が221という数字は正しいものと思われます。B29の護衛機のP47は、『米軍資料北九州の空襲』p129に目標上空到達機数の数が記されており、護衛機3部隊の合計は158機となります。


長崎大村航空隊の遊撃事実が記載された資料が見つかりませんでした。
「長崎大村航空隊」でインターネット検索したところ、「大村海軍航空隊」がヒットしたため、こちらのことではないかと思い、「大村海軍航空隊」について調査をしました。
ウィキペディアには、大村海軍航空隊が昭和20年5月5日に解体されていることが記されているため、8月8日の八幡大空襲には、大村海軍航空隊での遊撃の可能性はないと思われます。

『本土防空作戦』付図10「本土来襲状況並びに邀撃、戦果及び損害一覧表」(昭和二十年二月十六日~八月十五日)の8月8日の欄には、来襲米軍機の機種・機数はありますが、その他の項目は空欄でした。

『米軍資料北九州の空襲』p130~p131に、護衛機部隊の米軍第318戦闘機軍団が大村と八幡の間、島原湾の上空と有明海でおよそ30機の戦闘機に迎撃されたこと、第413戦闘機軍団が八幡上空で12~15機の戦闘機に迎撃されたこと、第507戦闘機軍団が志賀島上空で15~20機の戦闘機を目撃したことが記されています。日本軍の戦闘機が迎撃、目撃されたことは記述がありますが、どこの部隊のものかまでは記述がありませんでした。

『郷土史・八幡空爆Ⅲ 八幡焼亡二十・八・八』p13~p28が「友軍戦闘機の邀撃戦闘」という題で、当時の八幡周辺の防備の体制や配備されていた航空隊のこと、八幡大空襲当日に遊撃した可能性のある戦闘機部隊について論じられています。それによると、米軍に目撃されている戦闘機のうち、「雷電」が三五二航空隊、「紫電改」が三四三航空隊のものであるとされています。どちらも大村に所属していました

『原爆投下』p190には三四三航空部隊が8月8日の八幡製鉄所に対する空襲の際に出撃したことが書かれています。
三五二航空隊の出撃数は分かりませんでしたが、三四三航空隊司令の源田実氏の著書『海軍航空隊始末記』(『昭和戦争文学全集 8』p411)には、8月8日に約300機の敵に対して24機で邀撃したことが記されています。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC 
参考資料
(Reference materials)
『八幡市史 続編』八幡市史編纂委員会/編纂 八幡市役所, 1959. p. 338~343 (当館請求記号 K211.6/ヤ/続編, 当館資料番号 0311155956)
『わが故郷八幡』 北九州八幡信用金庫, 1995.8. p. 411~413 (当館請求記号 K211.6/キ/, 当館資料番号 0311104301)
『黒崎之里 第12号』 黒崎之里刊行会/編集 黒崎史蹟保存会, 1985.12. p. 81~88 (当館請求記号 K051/ク/monji, 当館資料番号 0312469364)
『あの日、八幡で何が起こったか』 平野塾/編集 地域の記憶遺産を支える会, 2015.8. (当館請求記号 K211.6/ヒ/戦, 当館資料番号 0312751787)
『あの日、八幡で何が起こったか 第2集』 平野塾/編集 地域の記憶遺産を支える会, 2016.3. (当館請求記号 K211.6/ヒ/2/戦, 当館資料番号 0312800972)
『米軍資料北九州の空襲』 奥住 喜重/訳・編 工藤 洋三/訳・編 北九州の戦争を記録する会, 2002.12. (当館請求記号 K211/オ/, 当館資料番号 0312538044)
『大村市史 下巻』 大村市史編纂委員会/編纂 大村市役所, 1961. (当館請求記号 219.3/オ/2, 当館資料番号 0311036453)
『郷土史・八幡空爆 3 複写版』 梶原 茂樹/[著] [北九州市立八幡図書館], [出版年不明]. (当館請求記号 K398/カ/3/戦, 当館資料番号 0312397904)
『原爆投下』 松木 秀文/著 夜久 恭裕/著 NHK出版, 2012.2. p. 189~190, ISBN 978-4-14-081531-1 (当館請求記号 210.7/マ/, 当館資料番号 0312515513)
『昭和戦争文学全集 8』 昭和戦争文学全集編集委員会/編 集英社, 1964.10. p. 338~413 (当館請求記号 918.6/シ/8, 当館資料番号 0311560916)
『航空隊戦史』 近現代史編纂会/編 木俣 滋郎/〔ほか〕著 新人物往来社, 2001.11. p. 81~83, ISBN 4-404-02945-4 (当館請求記号 391.2/キ/, 当館資料番号 0014654248(中央図書館資料))
『本土防空作戦』 防衛庁防衛研修所戦史室/著 朝雲新聞社, 1968. (当館請求記号 391.2/ボ/19, 当館資料番号 0110589942(門司図書館資料))
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 大村海軍航空隊
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
登録番号
(Registration number)
1000314248解決/未解決
(Resolved / Unresolved)

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