レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年10月26日
- 登録日時
- 2022/02/11 13:26
- 更新日時
- 2022/06/26 09:18
- 管理番号
- 中央-1-0021533
- 質問
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未解決
『幻想百物語埼玉 妖怪編』の「黒塚の鬼婆」(p8~9)のp9上段左に「ちなみに、観世九皐会によると、この埼玉の足立ヶ原には、鬼婆のモデルとも言える女盗賊もいたようである。」と書かれている。この女盗賊について書いてある本を見たい。
- 回答
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「黒塚の鬼婆」について調べたが、「安達ケ原の女盗賊」について言及されている資料は見つからなかった。
- 回答プロセス
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1)『さいたま市博物館研究紀要 第5集』さいたま市立博物館/編 さいたま市立浦和博物館/編 さいたま市立博物館 2006年
p19~49「武州大宮宿の黒塚伝説について」下村克彦
p40『黒塚の伝説』(斎藤照山)からの引用として、「では鬼とは何か?。時の幕府に虐げられた農民である。収穫した穀物は厳しく取り立てられる。背に腹は代えられず盗賊化したものだった。」という文章あり。「女盗賊」とは書かれていない。
(2)『埼玉県伝説集成 分類と解説 下巻』韮塚一三郎/編著 北辰図書出版 1974年
p178~183「黒塚の鬼婆 大宮市大宮字堀の内」
様々な郷土資料から、黒塚の鬼婆についての記述を抜粋している。鬼婆の呼称は、鬼女・老婆・悪鬼など、資料によって異なる。解説の中で、鬼婆とはいったい何かという問いに対し、「筆者は鬼婆は山の神の零落した姿だとみる」(p182)と述べている。
(3)『まぼろしの寺 大宮雑記帳 2』秋山喜久夫/著 丸岡書店 1974年
p14~27「二 黒塚物語 東光寺」
p23「北沢怡佐雄氏の研究によれば、鬼女伝説の生れた根拠は二つあり」と書かれている。以下抜粋。
「陸奥の国司の源重之と言うのが、あまたのみめ美わしい女性を、黒塚に囲っていたのに尾鰭がついて鬼女伝説が生まれたらしい。」
「アイヌのウフイの風習が鬼女伝説を生んだらしい、と言う。ウフイと言うのは、難産で妊婦が死亡した場合、埋葬の前にその墓地で、部落の気丈な老婆が、鎌で妊婦の腹部を割いて、胎児をひき出し、死んだ母親に抱かせて埋める習俗だと言う。」
(4)『民衆史の遺産 第2巻』谷川健一/責任編集 大和岩雄/責任編集 大和書房 2012年
p29~224「鬼の研究」馬場あき子
歴史や古典や昔話に登場する鬼について詳しく考察されている。「女盗賊のものがたり」(p133)、「黒塚歌話と鬼」(p198)など、今回の調査に関連した章はあるが、「安達ケ原の鬼婆」と「女盗賊」の関連についての記述は見当たらず。
(5)『おくのほそ道 付 曽良旅日記 奥細道菅菰抄』芭蕉/[著] 萩原恭男/校注 岩波書店 1982年
p153~243「奥細道菅菰抄」
p180 黒塚と鬼についての記述はあるが、「女盗賊」という言葉は出てこない。下記に一部抜粋。
「拾遺集、みちのくの安達がはらのくろづかに鬼こもれりときくはまことか、平兼盛。旧説に、此鬼は女をさして云たはぶれの詞なりと。(中略)武州足立郡大宮の宿に有塚の事にて、此処をも、いにしへは、あだちが原と云。(中略)安達と足立と、和訓の似たるよりして、うたひものには、奥州の事に混誤したる也。」
(6)『大日本地誌大系 14 新編武蔵風土記稿 第8巻』雄山閣 1981年
p85~99「大宮領」
p86「本村」
「東光寺」の項に、「想ふに此所に黒塚と云塚ある故に、彼平兼盛が陸奥の安達原の鬼を、詠ぜし歌に附會せしならん」(一部抜粋)とあり。
P88「右衛門八分」
「黒塚」の項に、「沼に居る雁鴨等を取んとて、往来人の見とがめんことを恐れて、よなよな鬼面を被りて驚かし、その隙にかの鳥を取しが、顕はれて難儀をも奪はれ、改易となりしとなり、その後の農人等鬼いでしと云ふらし、はては奥州安達郡の黒塚に擬して黒塚と唱え始めし」(一部抜粋)とあり。
(7)『さいたまの伝説 あだちがはらの鬼婆は大宮にいた』下村 克彦/〔編〕 さいたま市立北図書館 2009年
上記で紹介した資料の抜粋を軸に構成された資料。
下記資料は、「黒塚の鬼婆」の伝説についての記述はあるが、鬼婆の云われや由来については記述なし。
(8)『埼玉県の民話と伝説 北足立編』根津富夫/編 有峰書店 1977年
(9)『大宮市史 第5巻 民俗・文化財編』大宮市役所 1969年
(10)『大宮文学散歩 大宮雑記帳8』秋山喜久夫/著 丸岡書店 1976年
(11)『日本随筆大成 第2期 24』日本随筆大成編輯部/編 吉川弘文館 1975年
(12)『日本伝説叢書 北武蔵の巻』藤沢衛彦/編著 すばる書房 1978年
『幻想百物語埼玉 妖怪編』に、「ちなみに、観世九皐会によると」という記述があったため、「観世九皐会」について調べたところ、新宿の矢来能楽堂で活動する能楽の一派ということが分かった。観世九皐会が定例会の際に発行していた会誌に、「あだちが原に出た女盗賊」についての記述があったようだが、現在は休刊となっているため、閲覧不可。この会誌に、「女盗賊」の記述の根拠として上記(5)『奥細道菅菰抄』が挙げられているようだが、(5)のとおり、「女盗賊」の記述は見つからなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝説.民話[昔話] (388 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 黒塚の鬼婆
- 足立ヶ原
- 女盗賊
- さいたま市大宮区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000312048