このページではJavaScriptを使用しています。お客様の閲覧環境では、レファレンス協同データベースをご利用になれません。

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
尼崎市立歴史博物館 地域研究史料室 “あまがさきアーカイブズ” (5000006)管理番号
(Control number)
194
事例作成日
(Creation date)
登録日時
(Registration date)
2022年01月16日 18時48分更新日時
(Last update)
2022年01月27日 18時06分
質問
(Question)
尼崎市北城内にある尼崎市立琴ノ浦高等学校の校舎について知りたい。
回答
(Answer)
尼崎市立琴ノ浦高等学校の建物は、昭和12年(1937)に尼崎尋常高等小学校として建築され、戦後の一時期尼崎市庁舎としても使われた経歴をもっています。

尼崎尋常高等小学校(尋高校)は太政官学制(明治5年、1872)により明治6に創立された6小学校をルーツにもつ尼崎で最も歴史ある小学校のひとつでした。大正12年(1913)に尼崎初の鉄筋コンクリート校舎が第一尋常小学校(のちの城内小学校)に完成し、これより昭和初年にかけて数棟の鉄筋校舎が建設されますが、いぜん小学校の大半は木造でした。昭和9年9月阪神間を襲った室戸台風により尋高校の木造校舎が倒壊、生徒と教師が校舎の下敷きとなり多数の犠牲者を出す結果となりました。市はこの悲劇を二度と繰り返さないよう、復興にあたって学校建築はすべて鉄筋コンクリート造とすることを決定します。
尋高校の復興校舎新築工事は工期を2期に分け、西側が昭和11年8月に、東側が翌12年2月に竣工しました。尋高校併設の市立商工実修学校と同校付設の市立商業学校(夜間)は、復興にあたって独立した鉄筋校舎となり、昭和11年8月、敷地の北端に新校舎が竣工しています。
正面玄関の両脇にはアーチ型の窓が配されていますが、この位置に異形の窓を設ける手法は同時期に竣工した開明、難波、高等女学校の各校に共通するものです。4本の角柱で支えられた玄関ポーチの上は露台となっていて2階から出入りすることができます。東西に伸びる3階建ての教室棟と、敷地東側に平家建ての講堂棟が配置されています。また、敷地内には室戸台風遭難者の慰霊碑(昭和10年建立)と尼崎藩主・青山幸利(よしとし)の遺徳顕彰碑(昭和16年建立)があります。

■建物の概要
所在地:兵庫県尼崎市北城内47番地の1
構造:鉄筋コンクリート造3階建て
起工:昭和10年(1935)11月9日
竣工:昭和12年(1937)2月28日
設計者:尼崎市営繕課
施工者:本柄谷組

■建物の沿革
昭和16年4月、尋高校は国民学校令により尼崎国民学校と改称したのち、終戦後の昭和20年11月には学制改革で近隣の城内小学校に統合され廃校となります。
尼崎国民学校の退去後、この建物は尼崎市庁舎となりました。庁舎としては使いづらい面もあったと思われますが、大空間をもつ講堂はそのまま議場に転用、正面の運動場は集会場所として利用され、市民にとってなじみ深い建物となりました。戦後復興期の尼崎市政を支えたこの庁舎も、市勢の発展とともに手狭になったため新庁舎の建設が決まり、昭和37年10月東七松町に現在の市役所本庁舎が完成し市庁舎は転出しました。
昭和38年3月から7月まで、新設の市立尼崎西高等学校(昭和41年1月から兵庫県立尼崎西高等学校)の仮校舎として利用され、昭和39年4月からは市立城内中学校の校舎となりましたが、約2年半後の昭和41年9月には、市立尼崎高等学校に併設されていた定時制の市立城内高等学校が独立校舎として使うことになり、城内中学校は城内高等学校の校舎と入れ替わりで転出しています。ともあれ、この建物は庁舎から本来の用途である学校に戻ることになりました。昭和43年4月には体育館が完成しています。北棟の一部には昭和62年8月から高度加工技術研究所が入居し、平成6(1994)1月に同所が道意町に転出した後は市立地域研究史料館の分室として利用されました。
平成23年2月、市は市立城内高等学校と市立尼崎工業高等学校の定時制高校2校を再編し、旧城内高等学校の校舎を改修して新たな定時制高校を設置することを決定しました。この建物は耐震補強などの改修工事を実施し、平成25年4月、市立琴ノ浦高等学校の校舎として再スタートを切りました。
回答プロセス
(Answering process)
1 尼崎尋常高等小学校の建築に関する史料

◆戦前期尼崎市営繕関係写真アルバム
尼崎尋常高等小学校、商工実修学校の竣工写真が含まれている。

2 尼崎尋常高等小学校の歴史に関する文献
◆『尼崎市戦前教育史』尼崎市教育委員会, 平成15.3

3 青山幸利遺徳顕彰碑に関する文献
◆中村光夫 尼崎藩主・青山幸利遺徳顕彰碑-銘文と建立者たち-
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/publishing/bulletin/contents/pdf/00111051.pdf
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本の建築  (521)
参考資料
(Reference materials)
尼崎市教育委員会 編 , 尼崎市教育委員会. 尼崎市戦前教育史. 尼崎市教育委員会, 2003.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004103928-00  (当館請求記号 372.6/A/ア)
中村光夫 尼崎藩主・青山幸利遺徳顕彰碑-銘文と建立者たち-. 2011.9. 尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』 第111号 (逐次刊行物)
キーワード
(Keywords)
近代建築
小学校
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介 事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000310822解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
Twitter
このデータベースについて
国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。詳細

活用法

刊行物・グッズ
新着データ
最近のアクセスランキング
レファ協PickUP!