レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 同志社大学 今出川図書館 (3310014) | 管理番号 (Control number) | 2021-082 | |||||||||||||||||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2021年11月9日 | 登録日時 (Registration date) | 2021年11月22日 13時37分 | 更新日時 (Last update) | 2023年03月22日 16時03分 | |||||||||||||||||||||||
質問 (Question) | 塩塚三郎氏(デントン孤児院の責任者)とミス・デントンとの間に交流があったことを示す資料を探している。 | |||||||||||||||||||||||||||
回答 (Answer) | お探しの資料を見つけることはできませんでした。 また本件について、本学同志社社史資料センターにも参考調査を依頼しましたが、該当する資料は見つからなかったと回答をいただきました。 ミス・デントンとデントン孤児院の関係についての記述がある資料がございました。 ご参考までに以下にご紹介いたします。 坂本清音「占領軍GI、O・W・フロストが語るミス・デントン1945-46」※本学学術リポジトリで公開されています。 http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000207 [参照 2021-12-08] p.22(23コマ目)「デントン自身は関係していないが…プロテスタントの牧師が協力して開設していた「デントン孤児院(葵少年寮)」のことであろう。所在地は左京区田中上柳町35、1946年12月20日から1948年3月31日まで1年3か月余、続いたようである。(『京都市児童福祉百年史』1990年448頁参照)」 もし今後、本件について調査を継続される場合は同志社女子大学史料センターへの問い合わせもご検討ください。 ご質問いただいたミス・デントンに関する資料を所蔵しているとのことです。 ■同志社女子大学史料センター 公式サイト: https://www.dwc.doshisha.ac.jp/about/facilities/records [参照 2021-12-08] 全国大学史資料協議会ホームページ: http://www.universityarchives.jp/institutes/dwc/ [参照 2021-12-08] その他、詳細については回答プロセスをご参照ください。 | |||||||||||||||||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | ■塩塚氏について調査 1. 事前調査事項を確認 利用者が持っていた昭和22年度の保護施設台帳を確認したところ、加茂川教会の敷地内で孤児院の運営をしていた旨の記載があったため、教会関係者であった可能性が浮上。 2. 当館所蔵資料で調査 1.を踏まえて次の資料を確認したところ、いずれも塩塚氏に関する略歴や所属教会、親族の名前などの記載はあるが、交友関係に関する情報は見つからなかった。 ・『日本基督教団年鑑 9巻』p.173, 285 ・『基督教年鑑 1960年度版』p.138, 383 ・『キリスト教年鑑 1979[22]』p.109 ・『キリスト教年鑑. 人名録 2003[46]』p.166 上記資料から塩塚氏が明治学院に在籍していたことがわかったため以下の資料を確認したが、ミス・デントンとの交流をしめすような情報はなかった。 ・『明治学院百年史』 p.717 在籍記録に名前の掲載あり。 3. Web・データベースで調査 ・日本基督教団公式サイト https://uccj.org/ [参照 2021-12-08] 「教団新報」掲載の記事に塩塚氏の略歴の記載あり。 「【4579号】消息」(2005年5月21日) https://uccj.org/newaccount/18290.html [参照 2021-12-08] ・本学学術リポジトリ 和田洋一, 佐々木敏二「昭和15年におけるキリスト教運動:内務省警保局『社会運動の状況』による」 http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000008251 [参照 2021-12-08] p.167-168 名前や当時の所属教会などの記載あり。 また、以下の資料でも同様の内容が確認可能。 『戦時下のキリスト教運動:特高資料による昭和十一年-昭和十九年』p.282~ ・“Re-Orientalizing Christianity: Shimizu Yasuzō and Japanese Protestants’ North China Mission, 1919-1945” https://doi.org/10.7939/r3-8tkk-gh16 [参照 2021-12-08] ※ERA(Education and Research Archive)で公開。 p.387 名前と当時の所属教会名の記載あり。 (補足) 以下を確認したが、塩塚氏の交友関係に関する情報は見当たらなかった。 ・本学OPAC ・本学契約データベース「JapanKnowledge Lib」 ・本学契約新聞データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」「毎索」「ヨミダス歴史館」「日経テレコン」 ・国立国会図書館オンライン ・国立国会図書館デジタルコレクション など ■ミス・デントンについて 1. Web・データベースで調査 ・本学契約データベース「JapanKnowledge Lib」 「デントン」(『日本人名大辞典』) 略歴の記載のみ。 ・本学学術リポジトリ 坂本清音「占領軍GI、O・W・フロストが語るミス・デントン1945-46」 http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000207 [参照 2021-12-08] →回答の通り 2. 当館所蔵資料で調査 下記資料を確認したが、いずれも塩塚氏との交流を示すような情報や孤児院に関する情報は見当たらなかった。 ・『同志社百年史:通史編・資料編』 ・『同志社九十年小史』 ・『ミス・デントン』 ・“Mary Florence Denton and the Doshisha” (邦訳版)『ミス・デントン:「同志社の宝」と呼ばれた女性の60年』 ・『デントン先生』 ・『130年前の「同女」へGo! : 新島襄と同志社女学校 : 併催: デントン生誕150年記念展 : 展示目録』 ・『日米の懸け橋 : 日本の女子教育に捧げたデントンの生涯』 ・『デントン先生と一警察官』 ・『デントン先生功績表彰同志社榮光館パイプオルガンに就て』 ・『駕筵録』 ■本学社史資料センターへの参考調査依頼 先方所蔵のミス・デントン関係資料のほか、次の資料を確認したが回答にあたる情報は見つからなかったとの回答をいただいた。 『デントン先生略歴』 『しばぐさ』(学報第十一号抜刷) | |||||||||||||||||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | 次の資料を確認したが、塩塚氏とミス・デントンとの交流を示すような情報はなかったとのことです。 ・ミス・デントン関係の資料(資料名は思い出せないとのこと) ・昭和22年度の保護施設台帳(京都府立京都学・歴彩館所蔵)に掲載のデントン孤児院の記録 ・『京都市児童福祉百年史』p.448(デントン孤児院の運営期間が掲載) | |||||||||||||||||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) |
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寄与者 (Contributor) | ||||||||||||||||||||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||||||||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 同志社 | 質問者区分 (Category of questioner) | 大学院生 | |||||||||||||||||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000307912 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 未解決 |