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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
山口県立山口図書館 (2110020)管理番号
(Control number)
0000110932
事例作成日
(Creation date)
2021年07月23日登録日時
(Registration date)
2021年10月14日 18時22分更新日時
(Last update)
2021年10月19日 09時55分
質問
(Question)
昭和6年(1931年)頃に商工省が主導となって国産車の生産を推奨する政策があった。東洋工業株式会社(現在のマツダ株式会社)が昭和6年にマツダ号という自動車をつくっており、このマツダ号は先述の商工省の政策によって生産された自動車ではないかと考えているが、その根拠となる資料を探している。
回答
(Answer)
商工省の国産車生産推奨の政策とは、下記資料1p69にある、昭和6年(1931)5月、商工省に自動車工業確立調査委員会が設置され、商工省標準式自動車規格の制定、規格車への補助金制度などを採用した一連の政策のことと思われる。

結論として、マツダ号が商工省の国産車生産推奨の動きを受けて生産されたという記述のある資料は見つからなかった。
なお、昭和5年(1930年)に商工省が小型自動車の規格を改正し、翌年マツダ号はその規格内で生産されたとの記述は資料1などにあった。

資料1p50によると、昭和5年2月に小型自動車の規格改正があり、車体寸法とともにエンジンの制限容量も引き上げられたが、東洋工業(現在のマツダ)は、きわめてタイミングよく、設計当初から500ccクラスの三輪トラックを企画することができた、とある。また、p56に、昭和6年に三輪トラックを生産しマツダ号DA型と命名した、とある。

資料2p69によると、昭和5年に商工省は「小型自動車規格」を改正し、オート三輪の排気量や車体寸法の規格を全体的に拡大、総排気量は350ccから最大500ccに変更された、とある。翌昭和6年にマツダ(当時は東洋工業株式会社)はオート三輪の生産を開始し、マツダ号DA型(排気量は482cc)がつくられた、とある。

資料3p64に、昭和5年2月、内務省の交通取締規格が修正された際、マツダ以外の他社の三輪トラックは改正前の350ccの発動機ばかりだったが、マツダは設計当初から500ccエンジンの車を企画することができた、とある。また、p73に昭和6年10月にはじめてマツダ号を市場に送り出した、とある。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
自動車工学  (537 9版)
技術史.工学史  (502 9版)
参考資料
(Reference materials)
1.東洋工業株式会社五十年史編纂委員会/編集 , 東洋工業. 東洋工業五十年史 沿革編. 東洋工業, 1972.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I021502061-00  (p50,56,69)
2.中村尚樹 著 , 中村, 尚樹, 1960-. マツダの魂 : 不屈の男松田恒次. 草思社, 2018.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029013215-00 , ISBN 9784794223388 (p69)
3.東洋工業株式会社. 社史で見る日本経済史 第47巻. ゆまに書房, 2010.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011001966-00 , ISBN 9784843335154 (p64-65,72-73)
キーワード
(Keywords)
自動車産業--歴史
マツダ株式会社
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000306082解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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