レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年03月03日
- 登録日時
- 2020/04/01 12:55
- 更新日時
- 2020/05/26 16:46
- 管理番号
- 1905
- 質問
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①松平(三郎次郎)親盛の息子は親次だけか?
②松平玄番(西岸寺を作った人)は誰なのか?(玄番は役職名)
- 回答
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A.『角川日本姓氏歴史人物大辞典23』(288.1/カド)
B.『徳川・松平一族の事典』(A288/クド)
C.『系図纂要 第10冊下』(288.2/メイ/10-2)
以上3点を提供。
- 回答プロセス
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*質問者は下記5点の資料は確認済みとのことで、それ以外の資料から調べた。
(『福釜の里』『福釜の今むかし』『明治村史』『福釜だより』『安城市史』)
*上記Aのp.886~ 松平【福釜】親忠の三男長親の次男親盛に始まる・・・(中略)
親盛-親次-親俊・・・に続き、とあり。
*上記Bのp.471には下記の家系図があり。
親盛 - 親次 - 親俊
|- 元秀
|- 盛次(親盛の養子)
本文中より『寛政重修諸家譜』には 親次の生年は文亀3年(1503年)とあるが、『安城市史』には大永元年(1521年)に生まれ、天正3年(1575年)に福釜で没したとある、とのことで、確定できない。また、図中に盛次が「親盛の養子」とある件について本文には記述なし。
*上記Cを参照したところ、松平福釜は第10冊下のp.395に親盛からの系譜があり。
それによれば、
親盛-親次-親俊
-盛次
とあり、親盛の子どもは親次のほかに盛次が確認できる。
*A、B、Cの資料を見る限り、親盛の子どもが親次だけなのか、盛次もそうであるのか、確証は得られないが、各資料はそのまま提供。
**②については、上記Cの資料を参照するが玄番についての記載はなく、幼少名、役職名等不明。
***後日再調査の結果、『歓喜光 西岸寺修復事業落慶記念誌』(AA183/サイ)あり。
P.5 西岸寺略史の中で「福釜城主松平親盛の庶子玄番が乳母に伴われて共に住み込んだ。親盛は(中略)西岸寺と命名、開基住職とするよう申し渡したと伝えている。」また「西岸寺過去帳には、開基松林山清秀院殿釈了玄俗名松平玄番 天文十六年(1547)十一月二十六日と記録され・・・」との記述も見られるが、提供には至らなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
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竹内理三 [ほか]編纂. 角川日本姓氏歴史人物大辞典 23. 角川書店, 1991.(288.1/カド)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002143326-00 , ISBN 4040022300 -
工藤寛正編 , 工藤, 寛正. 徳川・松平一族の事典. 東京堂出版, 2009.(A288/クド)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I001557438-00 , ISBN 9784490107647 -
岩沢, 愿彦, 1921-. 系図纂要 第10冊 下 (清和源氏 3) 新版. 名著出版, 1993.(288.2/メイ/10-2)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002280472-00 , ISBN 4626014828
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竹内理三 [ほか]編纂. 角川日本姓氏歴史人物大辞典 23. 角川書店, 1991.(288.1/カド)
- キーワード
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- 一般書
- 郷土
- 愛知
- 福釜松平
- 松平親盛
- 松平親次
- 松平玄番
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000279950