レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2019/03/27 17:29
- 更新日時
- 2021/11/07 09:04
- 管理番号
- 2018-0005
- 質問
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解決
山形県庄内地方の「5俵かつぎ」について、昭和の初めごろの雑誌において、実際に女丁持ちをしていてこの5俵担ぎを行って写真撮影された女性がインタビューに答えており、「撮影のために行っただけで、普段はやらない。上からどんどん積まれて一歩も動けなかった」と答えていたという話を聞いたのですが、出典がわかりません。なんらか探し出す方法はないでしょうか。
- 回答
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ご照会文にある、女丁持ちのインタビュー記事と同内容と思われる記事が、下記新聞(資料1「山形新聞マイクロフィルム 昭和59年9月」)に掲載されています。
発行は昭和59年9月で、お尋ねにある「昭和の初めごろの雑誌」ではありませんが、紙名及び記事の概略等を下記にお知らせします。
<紙名及び掲載箇所>
山形新聞 昭和59年9月29日(土曜日) 朝刊 10面 庄内版
<見出し>
しょうない散策 山居倉庫と女仲仕 米5俵を担ぐ? 観光写真、実は3俵」
<記事の概略>
米5俵を担いでいる2人の女性の写真とともに、昭和8年から8年間、山居倉庫で女仲仕であったという女性のインタビュー記事が掲載されています。
写真については、「山居倉庫に飾っているモノクロ写真の一コマ」とあり、インタビューの中で、女性が次のように話しています。
「実は二俵はもみがらが入っていたんです」
「あくまでも観光用の写真撮影だったんです」
「当時、女では酒田一の高給をもらっていた」等々
そのほか、記事では、当時、40人の「女仲仕」と呼ばれる女性たちが、倉庫前の舟着場から蔵の中まで、急な坂を行ったり来たりして、1日一人平均千俵のノルマをこなしていた旨等とともに、力試しとして一瞬だけ5俵を担いだ女性や写真のモデルとなった2人の女性は健在でいる旨等が記載されています。
当該写真は、資料2「ふるさとの歴史 荘内藩の米札から 山居倉庫米券への移り変り」中にも、「女丁持ち」として掲載されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 資料1 山形新聞マイクロフィルム 昭和59年9月
- 資料2 ふるさとの歴史 荘内藩の米札から 山居倉庫米券への移り変り,三上初子/著,1985.4,Yk611.33/ミカ
- キーワード
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- 5俵かつぎ
- 女丁持ち
- 山居倉庫
- 女仲仕
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000254061