レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/12/5
- 登録日時
- 2019/01/05 00:30
- 更新日時
- 2019/04/17 13:30
- 管理番号
- 3145921
- 質問
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解決
直江兼続の “幼少期、武田信玄が上杉謙信につかわした使者・岡田堅桃斎の密命を見破った”という逸話において、上杉謙信が使者・岡田堅桃斎を案内したとされる「歌枕の名所・越の長浜」について以下の2点を知りたい。
①この「越の長浜」とは現在のどの辺りを指すのか。
②実際に「越の長浜」を歌枕とした和歌があるか。
なお、歌枕の長浜は一般的には三重県の伊勢をさすが、各地に長浜は存在する。
- 回答
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①「越の長浜」とは現在のどの辺りを指すのか
「越の長浜」の現在地について、資料1~5に記載がありました。
貴館で確認済のインターネットサイト「上越観光ネット」の「たにはま海水浴場」のページ、及び、『越後・佐渡 (日本国誌資料叢書)』【527-63い】p.221では上越市とされていますが、資料1~5は全て佐渡島となっています。
歌枕の地としての「越の長浜」は佐渡島であるのに対し、上越市にも長浜の地名があり(資料1、2)、混乱を生じているようです。
②「越の長浜」を歌枕とした和歌
貴館でご確認済の「黄暮に往來の人のあと絶て みちはかどらぬ こしの長濱」以外の和歌について調べたところ、資料1と6に「越の長浜」を含む2首の和歌が見つかりました。
資料1 宗礼「行かへる雁の翔を休むてふ是や名におふ越の長浜」
資料6 遊行四十二世他阿尊任上人「遥々とこしの長浜幾日かは浪なれ衣袖朽るまて」
【 】内は当館請求記号です。
資料1
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂『角川日本地名大辞典. 15 (新潟県)』角川書店, 1989.10【GB11-38】
* 「こしのながはま 越の長浜<真野町>」の項(p.550)に、「佐渡ヶ島真野湾岸の南西部の海岸名。真野町豊田の塩屋ヶ崎から同田切須の田切須崎までの約2.75km。通称「長浜」。大永3年佐渡ヶ島に渡った宗礼という連歌師宗長の門弟が、「行かへる雁の翔を休むてふ是や名におふ越の長浜」と詠んだと伝えられる。」等の説明があります。また、「やはたさきゅう 八幡砂丘<佐和田町・真野町>」の項(p.1327)にも、「砂浜は「越の長浜」と呼ばれる歌名所」と言及があります。
* p.983に「ながはま 長浜<上越市>」の項があります。
資料2
『日本歴史地名大系. 第15巻 (新潟県の地名)』平凡社, 1986.7【GB11-44】
* 「渋手村」の項(p.1235)に、「塩屋崎から南へのびる真野湾岸一帯は古来越の長浜と称せられる景勝地である。」とあるほか、「滝脇村」の項(p.1236)にも「小木街道沿いの越の長浜の海岸の一部にあたり、集落は海岸段丘上にある。」とあります。
* p.198に「長浜村 現上越市長浜」の項があるほか、「北陸道」の項(pp.23-24)にも、「近世には北陸道(加賀街道)とよばれて、道筋も海浜沿いに変わった。正保国絵図によれば、宿駅は(中略)名立、有間川・長浜・岩木・高田(現上越市)で」とあります。
資料3
山本修巳 著『佐渡のうた』佐渡郷土文化の会, 1987.3【KG748-E144】
* 「越の長浜」の項(pp.332-334)に「越の長浜は、真野町豊田から大須までの海岸で、磯山の下に道がつづいている。」とあります。また、「佐渡地図」(p.396)中にも「越の長浜」の記載がみえます。
* 「越の長浜」の項に、池西言水の俳句「長浜やよそのあくびも秋の夢」は出ていますが、和歌の掲載はありません。
資料4
野島出版編集部 編『新潟県県民百科事典』野島出版, 1977.10【GB8-51】
* 「こしのながはま 越の長浜」の項(p.357)に、「真野町の豊田から大須に至る約3kmにわたる真野湾岸をいう。」とあるほか、「塩屋ヶ崎から碁盤波の立つ海面を見て越の長浜大須方面を望む」とキャプションの付されたモノクロ写真も掲載されています。
資料5
新潟日報事業社出版部 編『新潟県大百科事典』新潟日報事業社出版部, 1984.6【GB8-140】
* 「越の長浜」の項(p.718)に、「佐渡郡真野町大字豊田から西三川までのなだらかな海岸線。」とあります。
資料6
綿抜豊昭 著『近世越中和歌・連歌作者とその周辺』桂書房, 1998.7【KG244-G38】
* p.3に、「遊行四十二世他阿尊任上人(一六九一年没、六十七歳)は和歌をよくしたことで知られ、北陸を訪れたおりにも、北陸の代表的歌枕を読み込んだ次の和歌を残している(平成九年文藻堂書画目録『書跡』)。 北国修行の砌越の長浜にてかくよみはへる 遥々とこしの長浜幾日かは浪なれ衣袖朽るまて」とあります。
〔主な調査済み資料・ウェブサイト〕
橘南谿子 著『東西遊記・北窓瑣談』有朋堂書店, 大正11【514-28】
* 「東遊記」巻二の「名立崩」の項(pp.25-28)に、「又名立の次に長濱といふ濱あり。「黄昏に往来の人の跡絶えて、道はかどらぬ越の長浜」などいへる古歌もありと聞り。」とあり、上越市の長浜と歌枕の越の長浜の地を混同しているようです。
* 国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開しています。
該当箇所のURL:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971908/26
吉原栄徳 著『和歌の歌枕・地名大辞典』おうふう, 2008.5【KG2-J8】
久保田淳, 馬場あき子 編『歌ことば歌枕大辞典』角川書店, 1999.5【KG2-G32】
片桐洋一 著『歌枕歌ことば辞典. 増訂版』笠間書院, 1999.6【KG2-G39】
大岡信 監修 ; 日本うたことば表現辞典刊行会 編『日本うたことば表現辞典. 12(歌枕編 上巻)』遊子館, 2008.8【KG2-J15】
大岡信 監修 ; 日本うたことば表現辞典刊行会 編『日本うたことば表現辞典. 13(歌枕編 下巻)』遊子館, 2008.8【KG2-J16】
犬養廉 [ほか]編『和歌大辞典』明治書院, 1992.4【KG2-E38】
中村幸彦 [ほか]編『角川古語大辞典』角川書店, 1982-1999【KF6-21】
宮澤康造, 本城靖 共編『全国文学碑総覧. 新訂増補』日外アソシエーツ, 2006.12【KG2-H51】
* 新潟県の項を通覧しています。
Japan Knowledge Lib ※当館契約データベース
Google Books https://books.google.co.jp/
ウェブサイトの最終アクセスは2018年12月5日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
①について
『参謀の器量学』(広済堂出版1982 該当箇所p37~38)の“城から長浜までの距離”との記述から、上杉謙信の本拠地である“春日山城”から距離を測れる範囲(現・新潟県内)に対象を絞り調査。
『國史大辭典 第5巻、第3巻』“越国”および“春日山城”についての記載確認
『古地図と年表でみる諸国の合戦争乱地図 東日本編』(ISBN4795922012)
【新潟県立図書館/新潟県立文書館 越後佐渡デジタルライブラリーHP】http://opac.pref-lib.niigata.niigata.jp/Archives/DigitalLibrary
「越後全図並佐洲図」「新潟県頸城三郡地図」「寛治三年越後国図」
【国立国会図書館デジタルコレクション】http://dl.ndl.go.jp/
「新潟県名所要覧」
以上の資料で春日山の近くに“長濱”という地名の記載を確認。
【上越観光ネットHP】http://www.joetsu-kanko.net/
たにはま海水浴場の紹介ページ内に“越の長浜”に関する記述確認。
②について
『新日本古典文学大系』『日本古典文学大系』などのシリーズを地名索引から調べるも、「越の長浜」「越」「長浜」は該当なし。
『新編国歌大観』索引篇①~⑩ 「越の長浜」該当なし。
『日本歴史地名大系15新潟県の地名』(ISBN4582490158),『群書類従第18輯』(ISBNなし)
「廻国雑記」(道興/著) 府中をたちて長濱といへる所にやすみて。 行末の道をおもへは長濱の眞砂か旅のうき數にして
文中の「~越中国にいたる。」「越後の國府に下着」等の記載から、該当の「越の長浜」のことと思われる。
『日本国誌資料叢書 越後・佐渡』国立国会図書館デジタル化資料より、第1節(歌枕)に“こしの長濱”を歌枕にした和歌の記載を確認。
黄暮に往來の人のあと絶て みちはかどらぬ こしの長濱
解説に「長濱」の場所について「中頸城郡(現上越市あたり)」との記載があるので、該当の「越の長浜」のことと思われる。
記載したインターネット情報の最終確認日 2018.11.25
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000249644