レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年01月11日
- 登録日時
- 2018/03/28 19:10
- 更新日時
- 2018/05/28 15:24
- 管理番号
- 2016-0004
- 質問
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山形県における木地師の歴史、木地師の根源地と言われる永源寺(君ヶ畑・蛭谷地区)との関係、現況などをご教示いただきたい。このような内容が記載されている書籍、論文、雑誌記事、新聞記事、また、山形県内の市町村史で「木地師(木地屋)」に関する内容が記載されているもの、博物館等で木地師に関係する展示等が開催されたことがあれば、その内容をご教示下さい。
- 回答
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<1>本県における木地師の歴史、永源寺との関わり、現況等について、
資料1「山形県立博物館研究報告第7号」(昭和61年3月発行)中、ー 山形県における木地物・曲物・刳物の製作 ー(野口一雄/著)に詳細な記載があります。記載の概略は主に下記のような事柄等の詳細説明となっているようです。
1)本県においても、木地師は近江国小椋郷(現滋賀県神崎郡永源寺町)蛭谷の筒井八幡神社 と、同郡君ヶ畑の金龍寺による、全国的な氏子狩りの制度下に置かれていた。
2)県内に遺こる現在最も古い木地物は「元亀三年壬申四月八日」の紀年銘があり、そのことから 本県では既に近世初頭には舟形町内に木地業の存在が窺える。
3)木地師たちの来歴は福島県の耶麻郡や会津地方等が挙げられる。
4)現況としては、論文作成時点(昭和61年)で既に、本県内の木地業の多くが、合成樹脂製品の出現等により次々と廃業に追い込まれ、こけし製作など民芸品としてわずかに命脈を保つだけの状態である旨や、その時点で木地師を受け継いでいる者等について記載があります。
さらに、論文末に、1)~3)等の論拠となった12の木地屋文書の読み下し文が掲載されています。
<2>そのほか市町村史では、資料2~4等に関連の記載があります。
資料2「小国町史」
資料3「飯豊町史」
資料4「村史なかつがわ」
<3>なお、本県内地方紙の記事検索は、「山形新聞」について可能ですが、「木地師」「木地」をキーワードとして、検索可能な1999年12月より現在までの期間を検索しましたが、お探しの内容に該当する記事は見あたりませんでした。
<4>博物館等で開催の木地師関係の展示については、資料1に昭和60年に山形県立博物館で企画展「くらしの用具 山形の曲げものとくりもの」が開催されたとありますが、当館にはその図録等、詳細を示す資料は所蔵がありません。
山形県立博物館 〒990-0826 山形市霞城町1-8
Tel023(645)1111
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 資料1 山形県立博物館研究報告 第7号. 山形県立博物館/編 .山形県立博物館, 1986.(KS051)
- 資料2 小国町史. 小国町史編集委員会 編.小国町 (山形県) , 1966.(K272.4)
- 資料3 飯豊町史 上巻. 飯豊町史編纂委員会 編 , 飯豊町 (山形県), 1986.(K272.3)
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資料4 村史なかつがわ. 中津川村史編纂委員会.中津川村史編纂委員会, 1960.(YK272.3)
※( )は自館の請求記号です。
- キーワード
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- 木地師
- 木地
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000233437