レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年12月24日
- 登録日時
- 2017/12/24 12:03
- 更新日時
- 2019/07/18 10:40
- 管理番号
- 和図ー17-0060
- 質問
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解決
和歌山市にある「ぶらくり丁」の名前の由来と、それがわかる写真があるか、知りたい。
- 回答
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ぶらくり丁の名前の由来として、次の資料に記載がある。
1.『角川日本地名大辞典 30 和歌山県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1985年)p930「ぶらくり丁」の項に
「江戸期~現在の通称町名。(中略)本町1丁目と2丁目の境から東へ雑賀橋に至る横丁は、呉服古着類をつり下げて買物客を集め、商店街を形成していった。紀州方言でつり下げることをぶらくるということから、同横丁はぶらくり丁と通称され、本町筋西部の万町周辺に形成された市場につづく繁華街となっていった。」
2.『日本歴史地名大系 31 和歌山県の地名』(平凡社 1983年)p336「本町」の項に
「また本町一丁目と二丁目の境を東に入った横町は、通称ぶらくり丁と称し(続風土記)、文政年間(一八一八-三〇)頃以降には一大繁華街となった。「ぶらくり」は商品を軒にぶら下げて陳列する意味の方言で、その陳列方法が当たったともいわれ、幕末以降は本町通を越えて西へ続く万町周辺の市場とともに繁華な町とされた。」
また、商品をぶら下げる陳列方法が分かる写真が、次の資料に掲載されている。
3.『写真にみるあのころの和歌山 本町編』(和歌山市立博物館/編 和歌山市教育委員会 2009年)p12「21 小山洋品店」
4.『ふるさと和歌山市 保存版』(和歌山市制施行120周年記念写真集 郷土出版社 2009年)p140「ぶらくり丁の小売店」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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『紀伊続風土記 第1輯』(仁井田 好古/編 臨川書店 1990年 )p86「内町」に
「本町一町目より九町目に至る 一町目二町目の間東の横町を小名ブラクリ町といふ」
との記載がある。
『紀州郷土藝術家小傳』(貴志 康親/著 図書刊行会 1975年)p143「和田正主」に記載あり。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- ぶらくり丁 郷土 地名
- 質問者区分
- 小中学生
- 登録番号
- 1000227314