参考となりそうな本を以下に紹介します。
なお、各論文とも平安時代の経済行為について多面的に考察されています。引用文献、参考文献も豊富です。
1.皇室・貴族・庶民の収入の内容と形(現物か貨幣か)
京都市『史料京都の歴史第1巻 概説』(平凡社 1991.3)の「第2章 商業の都市」「第1節 王朝の経済生活」に、貴族官人のうける給与が現物支給であったという記述があります(158頁)。
阿部猛「平安京の経済構造:古代都市から中世都市へ」『国民生活史研究2 生活と社会経済』(伊東多三郎/編 吉川弘文館 1959.11 1984.10復刊)では、奈良・平安期は親王以下特定の諸官人に月給が払われており、これは令制にはないが、主として米の現物を以って支給されたとあります。また要劇料は大同4年に米給となったが、弘仁3年に再び銭給に戻ったともあります(53頁)。
官人の給与については、55頁から「官人の給与」という項が立てられています。事前調査された『源氏物語手鏡』(清水好子/[ほか]著 新潮社 1973)に記載されたような表は出ていませんが、『平安遺文』などの出典史料を記して、以田や以禄が私領化されていく様子が記されています。
庶民については、西村真次『日本古代経済 交換篇第4冊 貨幣』(東京堂 1933.10)の235頁に「諸司、諸衛府の仕丁、衛士らの日功に銭を収めたりした」という記述があります。しかし、摂関時代には「銅銭の通用が殆ど全く停止」し、「民間では一般に銭を嫌ひ、物々交換をして需要の欲求を充足した」といいます(239-240頁)。
鬼頭清明氏は「平安初期の銭貨について」土田直鎮先生還暦記念『奈良平安時代史論集』下巻所収(吉川弘文館 1984.9)で奈良時代において律令政府の行う支払手段、とくに造営事業における功賃に銭貨が支払われており、これは少なくとも貞観永宝までは続いていたと記しています(205頁)。註によれば、「造営工事等その他の官司の行う雇役として差発された場合には、功賃と食料とが支給されている」ということです(216頁)。
市場に出回った銭貨は調銭、徭銭という租税のかたちで政府に回収されると記述されています。
2.欲しいものを手に入れる方法(物々交換か貨幣か) 欲しいものをどうして見つけるか
3.東西にあった市は物々交換だったのか貨幣だったのか
小葉田淳「王朝時代貨幣史の研究」『経済史研究』10・11(日本評論社 1930.5・9)(下)には、1-2頁に『三代実録』の記事を基に「東西市等の売買が銭を以て多くせられた」と記述されています。また、田地の売買にも相当の貨幣量を充てた文書も少ないとして、3頁に土地取引の価格を付した一覧が載っています。
ただし、平安中期以降に貨幣流通は衰退したとも記載されています。
西村真次『日本古代経済 交換篇第2冊 市場』(東京堂 1933.5)には137頁に、市場での取引に「貨幣のみを媒介として行われず」「絹や米で直に払い、尚ほ物々交換が可也盛んに行われてゐた」と記されています。
128頁からは東西市の業態(政府の物価統制策や東西市の様子)について述べられています。沽価の統制に手を焼く政府の施策が史料を用いて紹介されています。
藤井一二「平安時代の銭貨と土地売買」『日本歴史』312号(日本歴史学会 1974年)にも、『平安遺文』から作成した山城国、大和国、近江国の、所在地、土地の種類、面積、売者、買者を記した土地売買一覧が載ります。「価値」の項目に「銭十六貫六〇〇文」「稲八〇束」と書かれており、銭が払われたか、現物で払われたかがわかるようになっています。
前出の阿部猛「平安京の経済構造:古代都市から中世都市へ」には、東西市については、73頁以降に記されています。そこでの売買に銭を以ってされたかの記述はありませんが、『類聚三代格』などの史料が多用され、市に出入りする人々について記述されています。また参考文献も多く記されており、調査のとっかかりになるものと思います。
前出の『史料京都の歴史第1巻 概説』には、市場に金融機関としての出挙銭所が設けられたといいます。また京中家地の売買に銭が用いられたとあります。なお、それはせいぜい10世紀半ばまでで、それ以後は准米や准布と呼ばれる米や絹布に代わったということです(157頁)。
166-167頁にも『平安遺文』より京中家地の地価一覧が掲載されていますが、交換手段が銭から米、絹に代わっていく様子がうかがえます。
4.請負仕事(例えば寝殿を作る、庶民が家を建てる)の代価支払の形
適当な本は見つかりませんでした。
寝殿をつくることが官司によるものとは思えませんが、先に挙げた鬼頭氏の「平安初期の銭貨について」の造営事業における功賃に銭貨が支払われていた、というのが参考になるでしょうか。
5.貨幣はどの程度に普及していたか
『平安時代史事典』(角田文衞/監修 角川書店 1994.4)の「貨幣(銭)」の項目に次のように記載されています。
和同開珎以降、平安期においても銅銭を発行していましたが、含まれる銅より高い法定価値を付けたことや質の悪い新銭に旧銭の10倍の価値を与えて発行していったために貨幣流通は行き詰まり、天徳2年(958)の乾元大宝を最後に皇朝銭の鋳造を中止したということです。貨幣の流通を諸社諸陵に祈ったり、銭貨を用いない者を検非違使が処罰させる処置をとりましたが効果なく、貨幣流通の本格的な復活は宋銭の流入を待たねばならなかったようです。
また、『日本古代史研究事典』(阿部猛/[ほか]編 東京堂出版 1995.9)は200頁から「古代の貨幣」「古代の商業」「古代の手工業生産」の項目があります。その中の「古代の商業」は次のように記しています。
遠距離交易の発達とともに貨幣の果たす役割が高まったということです。ただ、「軽貨」としての有効性はあったが、地金との格差が大きかったことと、発行枚数の絶対的不足によって米・絹等にとって代わられたともいいます。「しかし、皇朝十二銭が、きたるべき輸入宋銭流通の基盤を作ったことの意味は大きい」と記述されています。
栄原永遠男「銭貨の流通」『古代史の論点3 都市と工業と流通』(田中琢・金関恕/編 小学館 1998.5)の223頁から「九世紀の銭貨の普及」の項があり、224頁に簡易にまとまられた文章が載っています。また、次の参考文献が記されています。
滝沢武雄「平安後期の貨幣について」『史観』82号(1970年)所蔵なし
藤井一二「平安時代の銭貨と土地売買」 前出の論文です。
鬼頭清明「平安初期の銭貨について」 前出の論文です。
弓野瑞子「九・一〇世紀の平安京を中心とした貨幣の流通構造について」『歴史評論』426号(1985年)中之島図書館所蔵
三上善孝「平安時代の銭貨流通」『史学雑誌』105巻9号(1996年)中之島図書館所蔵
→栄原氏は、三上論文を一番注目されています(224頁)。
同書の「律令税制と流通」(今津勝紀/著)の項の238頁から「現物貨幣と直接需要品」は、奈良時代の話が中心ですが、古代日本における現物/貨幣流通に関する記述があります。
(追記)
■滝沢武雄『日本の貨幣の歴史(日本歴史叢書)』(吉川弘文館 1996.3)は、前近代までの日本の貨幣の歴史について記述された本です。47頁以降の「貨幣流通の衰微」に『土佐日記』から船頭の持つ鯛を譲ってもらうのに「ぜに」が必要だったことが書かれています。
他にも『小右記』や『今昔物語集』から「銭」が出てくる話が紹介されており、11世紀までの貨幣の流通について、衰退していく様子も含めて、具体的な交換をもとに考察されています。