レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年02月17日
- 登録日時
- 2008/03/04 15:09
- 更新日時
- 2008/03/04 20:04
- 管理番号
- OSPR07110023
- 質問
-
未解決
除夜の鐘が初めて許可された三つの寺について。
今ではどこの寺でも突いている除夜の鐘が、はじめは増上寺・三井寺(園城寺)など三つの寺に許可されたものだと聞いた。残る一つの寺がどこかを知りたい。
- 回答
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<除夜の鐘について>
結論から申し上げますと、お尋ねの寺院を特定することは、できませんでした。
『仏教文化事典』(佼成出版社 1989)には、「除夜の鐘」という項目がありません。
「年越」という項目のなかに、大晦日の行事のひとつとして言及されています。(804頁)
起源は中国の宋時代、わが国では鎌倉時代以降禅寺で朝暮れの二回ついていたが、室町から除夜のみになり、いつしか除夜の鐘を合図に社寺へ初詣するようになった。という説明となっています。
ほとんどの仏教辞典にも同じような内容で説明されているようです。江戸時代、特に三寺のみが除夜の鐘をついていたという記述はみあたりません。
『江戸町人の研究 第六巻』(西山松之助編 吉川弘文館 2006)には、「江戸の除夜の鐘について 浦井祥子」299~323頁。という論考があります。
この論文は、除夜の鐘についてかなりよく調査されており、江戸において時間をしらせる時の鐘を打つ場所、寺院は決められていたが、除夜の鐘について決まりがあったとう資料がみあたらないとされています。
<江戸時代の宗教制度に関する資料について>
「浄土宗諸法度」については、『宗教制度調査資料 第六巻』(文部省宗教局編 原書房 1977 )に「江戸時代宗教法令集」が収録されています。このなかに元和元年七月(34~38頁)と元和二年十一月(45~49頁)のものが収録されています。除夜の鐘について言及されているようには認められませんでした。
『宗教制度調査資料 第四巻』(文部省宗教局編 原書房 1978 )には、「江戸時代ニ於ケル寺院制限政策」「寺院本末関係」「享保七年諸宗法度書」の資料が収録されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『日本名刹大事典』(雄山閣)の「園城寺」の項には天台宗、近江八景で晩鐘が有名とあり、「増上寺」の項には浄土宗、徳川家康が元和元年(1615)に浄土宗諸法度を増上寺・伝通院・知恩院に出したとある。この諸法度の中に許可の経緯が書かれているかも知れない。
- NDC
- 参考資料
- キーワード
-
- 除夜の鐘
- 増上寺
- 三井寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000042254