レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2000/06/30
- 登録日時
- 2005/12/13 02:12
- 更新日時
- 2010/11/25 02:01
- 管理番号
- 新県図-00113
- 質問
-
解決
東京高師附属中学金北山遭難事件に関する記事を探している。
- 回答
-
地方誌紙の調査との御依頼でしたので、新潟県で代表的な地方新聞である『新潟新聞』『新潟毎日新聞』の当時の記事を調査いたしました。(2紙は現在の『新潟日報』の前身です。)
調査の範囲は遭難のあった4月と遭難碑が建設された10月30日の前後1週間とさせていただきました。
(新潟新聞)
年 月 日(頁)
昭和6年4月 3日(4) 2日発行夕刊
高師附中生佐渡で遭難 生徒二名と人夫凍死
寒気に震ふ一行発見直ちに救護を施す
悲嘆に沈む遭難者家族
4月 3日(7)
友の死を悲しみ死の彷徨を語る
4月 4日(3)
行方不明の生徒四名山中に救助さる
仮死の友を介抱し救援隊を待ち続く
憂愁に閉ざされた教諭、父兄の一行
二人の犠牲者はけふ新潟へ運ぶ
涙にくるる遺族 愛児の死を語る(遺族、同僚の写真あり)
4月 5日(4) 4日発行夕刊
変り果てた姿に茫然自失の父兄
捨てられた缶詰と落した杖が発見動機
陽光を浴び遺棺到着す(参拝、缶詰・杖、棺の到着の写真あり)
4月 6日(7)
多数校友遺族等の出迎裡に遺骨着京
遭難原因を山岳会調査
4月 7日(4) 5日発行夕刊
佐渡金北山頭には附中生遭難碑建設
(2)
山の犠牲者
4月 8日(7)
なにが生徒達を遭難させたのか
挙げられた四点
4月 9日(2)
遭難記念の碑
(新潟毎日新聞)
年 月 日(頁)
昭和6年4月 3日(4) 2日発行夕刊
高師附中学生二十名金北山上の遭難
生徒遭難で大騒ぎの附属中学
悲嘆に暮るる遭難学生の家庭
(9)
金北山で遭難した決死隊中の四名
名流の子弟も多い
4月 4日(3)
行方不明の学生四名とも発見救助
医者や看護婦まで連れて来港した慰問出迎の群
4月 5日(4) 4日発行夕刊
新潟中央阜頭に到着した二つの棺
(埠頭に到着した棺、学生の写真あり)
声を限りに二人の名を呼ぶ
旅行服を白の帷子に
(9)
吹雪の夜の十二時間 二人の遺骸を擁して捜索隊を待つ心中や如何に
薄着が祟った両君の凍死
助かったのが不思議です
4月 6日(5)
金北山の犠牲者(金北山全景写真あり)
4月15日(6) 14日発行夕刊
佐渡旅館組合が登山案内所建設
(新聞以外の資料)
『佐渡の百年』山本修之助/著(新潟日報社)昭47 p498~504
「妙見山麓の遭難」4枚 同年10月30日 遭難碑建設 *写真あり
『佐渡高等学校八十年史』昭52 p382
東京高師附属中学山岳部の遭難として、9行記述あり。
『佐渡高等学校百年史』平11
年表 昭和6年(p796)、昭和40年(p838)共に年表に事実記載あり
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 金北山遭難事件
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 一般
- 質問者区分
- 一般利用者
- 登録番号
- 1000025814