レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年11月14日
- 登録日時
- 2017/03/29 00:30
- 更新日時
- 2022/05/03 17:19
- 管理番号
- 県立長野-14-157
- 質問
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水内郡下越(しもごえ)村(現・長野市)の「安永」「文政」「嘉永」の時代の絵図を探している。掲載されている資料や所蔵機関を知りたい。
- 回答
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当館では上記いずれの時代の絵図も所蔵なし。
上水内郡下越村は慶応2年(1866)に太田村と改称し、更に明治9年吉田村の一部になった。明治14年吉田村から分村して再び太田村となり、明治22年に吉田村の大字となっている。
長野県立歴史館に照会したが下越村絵図は所蔵していないとのこと。
長野市公文書館に照会し、以下の情報を得た。
・下越村の絵図は所蔵していない。「太田共有文書」はわずかにあるが、文字のものだけで絵図面はない。
・下越村は後に吉田村の一部になっていくが、『長野県町村誌』には吉田村の絵図は欠落していて存在しない。
・下越村の絵図がある可能性があるのは、太田地区が保有している区有文書と考えられる。区有文書をみたい場合は、資料公開の許可をとった当時の大田区長の方の連絡先はわかるので、長野市公文書館に照会してもらってもよい。
・長野市公文書館の所蔵資料の利用についてだが、『長野県史』を出す際に県史刊行会が調査した時の資(史)料が写真撮影されていて、その中で長野市に関わるものについては、長野市が焼き増しをして市の公文書館が持っている。これは『長野市誌』をつくるために必要ということで焼き増しの許可がとれたが、長野市が公文書館をつくる際、600件ほどあった長野市分の写真資料について関係者・機関に連絡し、資料公開の許可をとっている。その時に了解を得られたものと、条件付きで公開許可を得られたものが、閲覧・複写・写真撮影が可能となっている。
- 回答プロセス
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1 『長野県町村絵地図大鑑』(明治初期の村絵図となる)を見たが、該当の地図はない。『新編信濃史料叢書 第11巻』の「信濃国絵図高辻」と、『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』p.76の下越村の関係記述に絵図はない。
2 村名の変遷については、『角川日本地名大辞典20 長野県』p.584「下越村」とp.246「太田村」の項で、下越村が松代藩領であったことや、太田村に改称した後、村名の変遷を経て吉田村の大字から長野市の大字に至る経緯を知る。
3 「安永」「文政」「嘉永」の年代を『日本史年表 新版』で確認。「丸山文庫目録」「飯島文庫目録」をみたが下越村を扱った資料名はなし。なお、「丸山文庫」「飯島文庫」ともに、長野県立歴史館へ移管されている。
4 長野市立博物館のHPで「浦野家資料」「小林家文書」「諸家文書目録(1)」をみたが手がかりなし。
5 真田宝物館のHPで「真田宝物館収蔵品目録」の『精選絵図集成』をみたが該当なし。
6 長野県立歴史館文献史料課に照会したが所蔵なしとの回答あり。
7 長野市公文書館のHPで「古文書目録」「地図・絵図目録」をみたが該当なし。同館に照会し大田区有文書の情報を得る。
<調査資料>
『明治初期長野県町村絵地図大鑑2 北信編』滝沢主税編 郷土出版社 1985 [N293/5/2]
『新編信濃史料叢書 第11巻』信濃史料刊行会編・刊 1975 [N208/43/11]
『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』長野県教育委員会編・刊 1983 [N202/395]
『角川日本地名大辞典20 長野県』角川書店 1990 [N293/18]
『日本史年表 新版』歴史学研究会編 岩波書店 1984 [210.03/51a]
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 下越村
- 長野市
- 村絵図
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵調査 所蔵機関調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000213079