レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年06月02日
- 登録日時
- 2024/03/14 14:21
- 更新日時
- 2024/03/28 13:50
- 管理番号
- 2023-20
- 質問
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解決
文政五年ごろの松山城下及びその周辺の住宅地図のような地図は資料として存在しているか。
- 回答
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1 文政2年の【資料1】がある。現在の堀之内、一番町、二番町、三番町、本町1丁目、南堀端町、平和通り5丁目くらいの範囲で、人名が書き込まれている。
2 この前後の城下町絵図としては、文化14年の【資料2】、嘉永または文久年間の【資料3】【資料4】があり、1と同じような範囲に人名が記載されている。
- 回答プロセス
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所蔵資料を調査
- 事前調査事項
- NDC
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- 四国地方 (218)
- 参考資料
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- 【資料1】『絵図 〔1〕 御城下古絵図』 文政2 <当館請求記号:キヨ09-2-1>
- 【資料2】『松山城下地図 文化14年』 〔製作者不明〕 〔1818〕 <当館請求記号:KM31-マツ>
- 【資料3】『松山市史料集 第13巻付図 松山城下町嘉永図(近藤・豊島家文書)』 松山市役所 1988 <当館請求記号:K231-29-13フ>
- 【資料4】『松山古地図・資料 近藤 豊島家伝』 東雲書店 1981 <当館請求記号:KM31-17-2>
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000347409