レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年06月03日
- 登録日時
- 2010/07/29 13:58
- 更新日時
- 2010/12/07 12:10
- 管理番号
- 阪府大-学情-H22-5
- 質問
-
解決
大和川の付け替え前の八尾市の古地図を探している。
- 回答
-
国立公文書館デジタルアーカイブで『元禄国絵図』が掲載されている。
「河内国(元禄)」の一部が現在の八尾にあたる。
拡大して、詳細を見ることができる。
http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000179
以下の資料にも大和川付け替え前の地図が掲載されているが、いずれも広範囲を縮小しているため、詳細はわかりにくい。
・『大和川付け替え三〇〇年 : その歴史と意義を考える 』雄山閣,2007.11(517.21/Y45)
P4に「河内国絵図(元禄期後半)」が掲載。
・『大和川付替(川違え)工事史 : 治水の恩人中甚兵衛考とその周辺』新和出版社,1982.1(517.2/1)
最終頁に附属で「元禄十六年頃 大和川附替之図」が掲載。
・『八尾市史』八尾市,1958(216.3/6)
p232に「河内古地図」が掲載。
・『図説大阪府の歴史』河出書房新社,1990.7(210.08/118/27)
p222に「摂河絵図」(付け替え前の大和川)が掲載。
- 回答プロセス
-
大和川付け替えの年代を確認するため、JapanKowledgeで“大和川”を検索。
デジタル大辞泉の項に「奈良県北部を西流する川。桜井市初瀬の北方に源を発して初瀬(はせ)川とよばれ、奈良盆地で佐保川を合わせ、金剛・生駒(いこま)両山地の間を通って、大阪・堺両市の境で大阪湾に注ぐ。長さ67キロ。もとは生駒山地のふもとを北流して淀川に合流していたが、宝永年間(1704~1711)に改修。」とある。
OPACで“291.63 地図”を検索。『古板大坂地図集成』を確認するが、八尾は掲載なし。
続いて、“河内* 地図”を検索。『國郡全図』が貴重書庫に所蔵。しかし、天保8(1837)年発行で大和川付け替え後のものである。
googleで“國郡全図”を検索。神戸大学図書館デジタルアーカイブ住田文庫で前頁を公開しているが、文政11(1828)年のものである。
OPACで“大和川 付替”を検索。
『大和川付替(川違え)工事史 : 治水の恩人中甚兵衛考とその周辺』最終頁に附属で「元禄十六年頃 大和川附替之図」が掲載されている。
『大和川付け替え300年』p1に「江戸時代の宝永元年、一七〇四年に柏原から今の堺市の北部に向かって、約一四キロメートル余りの新しい大和川が開削されるに至った。この付け替え工事は八か月という突貫工事であった」とある。また、p4には「河内國絵図(元禄期後半)」が掲載されている。
所蔵している『河内國繪圖』を確認するが、宝永6(1709)年発行(大和川付け替え後)のものである。
市史類を確認する。
『図説大阪府の歴史』p222に「摂河絵図」(付け替え前の大和川)、p221に「大和川付け替え地図」が掲載されている。
『大阪府の歴史』p191に「大和川つけかえ地図」が掲載されている。
『八尾市史』p232に「河内古地図」が掲載されている。作成年は不明だが、大和川付け替え以前のものである。
Googleで“大和川 付け替え”を検索。
八尾市立図書館HP「大和川の付け替え」
http://web-lib.city.yao.osaka.jp/yao/yao_04.html
堺市立図書館のHP「絵図にみる堺と大和川付替え300年」
http://www.lib-sakai.jp/kyoudo/kyo_digi/yamatogawa/yamatogawa_kotizu.htm
大和川付け替え300周年HP
http://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/yamato300/index.html
それぞれに地図が掲載されているが、詳細はわかりにくい。
Googleで“河内国 江戸時代 図”を検索。
国立公文書館デジタルアーカイブのサイトがヒット。
そこに「江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回、全国規模で国ごとの地図が作成されました。」とある。
掲載されているのは、『元禄国絵図』(1702年完成)と『天保国絵図』(1838年完成)。
『元禄国絵図』の「河内国(元禄)」を見ると、“八尾木村”等の地名がある。
『八尾市史』p67には、「延喜式によると河内国は、・・・の十四郡に分れ後に二、三の異動はあったが長く明治二十九年三月まで存続した。現在の八尾市域は、若江郡の南半(西郡以南)渋川郡の南部(久宝寺以南)志紀郡の北半、河内郡の南一小部分(福万寺以南)丹比郡の北東一小部分(太田、木ノ本の西一小部分)大県郡の北一小部分(神宮寺)と高安郡全部がその区域となり、実に数郡に跨っていた。」とある。
- 事前調査事項
-
OPACで“大阪 古地図”を検索した。
- NDC
- 参考資料
-
- 『古板大坂地図集成』清文堂出版,1970(291.63/2/1~6)
- 『河内國繪圖』宝永6年版,中尾松泉堂書店,1966.11(291.038/K4)
- 『國郡全圖』上・下,天保8 [1837].10(290.38/I14/1)
- キーワード
-
- 大和川付け替え
- 大和川
- 八尾
- 古地図
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 地図
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000069617