レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/11/03
- 登録日時
- 2012/03/08 02:00
- 更新日時
- 2012/03/08 02:00
- 管理番号
- DR20111000940
- 質問
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解決
「三里塚」という地名が「香取郡多古町の日蓮宗中村壇林を起点に、江戸まで1里ごとに法華塚を建て、その3里目の場所といわれ・・・(『角川日本地名大辞典』)」と書かれていることについて、通っている街道の名前と2里目や4里目などの地名がわかれば知りたい。
- 回答
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街道の名前についての記述は見られなかった。
地名については、『多古町史 上巻』の第4章第5節交通と商業のp.329に次のような記述があった。
「佐倉を経て江戸へ至る江戸道にそって、染井に一里塚、芝山町白枡に二里塚、成田に三里塚があった。四里目は四の字を避けて法華塚といい遠山村(成田市)にあった。染井の一里塚は現在、その名残りの道祖神が国道二九六号線交差点付近の畑の中に祀られている。このあたり元は台地縁辺部であって、道路工事のため掘り崩し現状をとどめていないが、一里塚はその縁辺部にあったのである。この一里塚の起点は南中の日本寺とあるとか、松崎神社であるともいわれている。里程からいえば日本寺説が有力であるが、なぜ日本寺を起点としたか、だれがそれを制定したのかは明らかでない。」
『多古町史 下巻』地域史編南中の項のp.55から、日本寺に日蓮宗の学問所として開かれたのが「中村壇林」であると分かるので、質問文の起点と一致する。
なお、直接の回答は得られなかったが、参考として、「多古街道」についての報告が掲載されている『歴史の道調査報告書集成 17』と、「多古銚子道」についての報告が掲載されている『歴史の道調査報告集成 18』を紹介した。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 多古町史 上巻 多古町史編さん委員会/編集 多古町 1985 213.5
- 歴史の道調査報告書集成 17 服部英雄/編集委員 海路書院 2007.8 682.1 978-4-902796-66-7
- 歴史の道調査報告書集成 18 服部英雄/編集委員 海路書院 2007.9 682.1 978-4-902796-67-4
- 多古町史 下巻 多古町史編さん委員会/編集 多古町 1985 213.5
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 地域(成田)
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000103255