レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/06/21
- 登録日時
- 2019/07/02 00:30
- 更新日時
- 2020/01/21 17:29
- 管理番号
- 4878679
- 質問
-
未解決
豊臣秀吉が天正十七年、有馬氏に神代家の土地を佐賀鍋島に返還するように命じたと言われているが、なにか古文書等に残っているか。神代は「こうじろ」、「くましろ」など読み方が複数あるようだ。
- 回答
-
資料1にご照会の事項に近い記述がありますが、古文書等についての情報は見当たりませんでした。
年紀が一致しませんが、秀吉が神代を鍋島氏に与えた旨の記述と文書はありました(資料2~4)ので、参考までにお知らせします。
【 】内は当館請求記号です。
資料1
児玉幸多, 北島正元 編『物語藩史. 第2期 第7巻 (九州の諸藩)』人物往来社, 1966【210.5-Ko484h】
* 森山恒雄「島原藩」(pp.217-[301])の末尾に「島原藩年表」(pp.[296]-[301])があり、天正17年の箇所に「秀吉、有馬晴信に命じて神代の城を竜造寺に返付させる」(p.[297])とありますが、典拠となる文書名等の記載はありません。
* ご照会の件とは、鍋島ではなく「竜造寺に返付」とある点において異なります。ただ、「寛永諸家系図伝」に「はじめは龍造寺と称す」とある(『寛永諸家系図伝. 第7』【GB43-146】p.243)ほか、鍋島直茂の名を「龍造寺飛騨守」と表記することもあった(『千葉の城・鍋島の城』【GC272-M4】p.76の注37)ということです。
* 国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館内/図書館送信参加館内公開)
資料2
長崎県史編纂委員会 編『長崎県史. 藩政編』吉川弘文館, 1973【219.3-N1873n】
* 「島原藩」の項の「第一章 有馬氏」(pp.212-241)、「第一節 豊臣秀吉の九州出兵と有馬氏」(pp.212-221)に、「天正十五年六月には九州諸大名の封域が決定したのであるが、このとき有馬氏も島原半島の本領を安堵されたのである。ただし、神代は養父郡半分とともに鍋島直茂に対して「新御恩地」として宛行われた」(p.214)とあります。この箇所には注6が付されており、p.221の注には「(6)『佐賀県史料集成』第三巻「鍋島家文書」六」とあります。
* 国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館内/図書館送信参加館内公開)
資料3
『佐賀県史料集成. 古文書編 第3巻』佐賀県立図書館, 1958【GC269-10】
* p.269に鍋島家文書の「六 豊臣秀吉朱印状」の項があり、鍋島飛騨守宛てで「今度為新御恩地、肥前國養夫郡半分、幷同國有馬郡内薩摩江執之半分事、被充行畢(中略)天正十五 六月廿五日」等の文言がみえます。
* 国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館内/図書館送信参加館内公開)
資料4
豊臣秀吉 [著] ; 名古屋市博物館 編『豊臣秀吉文書集. 3』吉川弘文館, 2017.2【GB271-L62】
* 「二二五一 鍋島飛騨守宛知行宛行状 「鍋島文書」東大史影写」の項(p.146)に資料3と同じ文書が掲載されています。「養夫郡」の右に「(父)」、「飛騨守」の右に「(直茂)」と小文字での記載がある点、資料3と異なります。
* NDLオンラインで文書標題を確認できる目次を参照することができます。
http://id.ndl.go.jp/bib/027854707
〔主な調査済み資料・ウェブサイト〕
豊臣秀吉 [著] ; 名古屋市博物館 編『豊臣秀吉文書集. 4』吉川弘文館, 2018.2【GB271-L71】
* 豊臣秀吉発給文書のうち、天正17~18年までの発給と判断される文書が年代順に収録されています。
* 天正17年分(pp.1-83)について、文書標題を主に通覧しましたが、ご照会の件に関係するものは見当たりませんでした。
* NDLオンラインで文書標題を確認できる目次を参照することができます。
http://id.ndl.go.jp/bib/028765992
東京大学史料編纂所データベース https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/
* 大日本史料総合データベースで、綱文を対象に、和暦=天正17年、キーワード=秀吉で検索した結果の綱文を通覧しましたが、関連のものは見当たりませんでした。
東京大學史料編纂所 編纂『史料綜覽. 卷12(桃山時代之2) (自天正十二年至文禄元年)』東京大学出版会, 2009.12【GB22-J57】
* 天正17年の部分(pp.225-260)を通覧しましたが、関連のものは見当たりませんでした。
文化遺産オンライン http://bunka.nii.ac.jp/
* 龍造寺高房宛て豊臣秀吉朱印状写( http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/246181 )等の情報があります。
国見町 編『国見町郷土誌』国見町, 1984.3【GC276-71】
* 中世編の「第三章 有馬氏の興隆」の「第三節 有馬鍋島氏の所領安堵」の項(pp.169-170)に、天正15年に鍋島直茂に神代の安堵が行われた旨の記載はありますが、天正17年に関する記述は見当たりませんでした。
* 国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館内/図書館送信参加館内公開)
林銑吉 編『島原半島史』国書刊行会, 1979.2【GC276-38】
* 上巻の「第六章 織田豊臣時代」、「第三、豊臣秀吉の九州平定と有馬氏」の項(pp.640-681)を通覧しました。神代に関して、「豊臣秀吉の九州平定国分けに当たつて所謂侵略の地であるから之を返納せしめて、龍造寺の長老鍋島直茂に与へた」(p.643)とありますが、天正17年に関する記述は見当たりませんでした。
* 国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館内/図書館送信参加館内公開)
佐賀県史編さん委員会 編『佐賀県史』名著出版, 1974【GC269-17】
* 上巻p.657に天正17年の鍋島直茂に関する記述はありますが、神代については言及されていません。
* 国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館内/図書館送信参加館内公開)
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂『角川日本地名大辞典. 42 (長崎県)』角川書店, 1987.7【GB11-38】
* 「こうじろ 神代」(pp.382-384)、「国見町」(pp.1373-1380)等の項があります。
『日本歴史地名大系. 第43巻 (長崎県の地名)』平凡社, 2001.10【GB11-44】
* 「神代・神代村」(pp.426-427)、「神代城跡」(pp.428-429)等の項があります。
ウェブサイトの最終アクセスは2019年6月21日です。
(2020年1月21日 追記)
当該事例にコメントをいただきましたので、情報を追記します。
天正15年6月25日の鍋島文書に関する情報は、『川副町誌』pp.111-112にも掲載されています。
『川副町誌』は、佐賀市の公式サイトで本文画像の閲覧が可能です。
川副町誌 (昭和54年2月28日発行)
https://www.city.saga.lg.jp/main/5078.html
川副町誌 pp.110-126
【歴史(近世)】二 鍋島藩政確立と川副郷
https://www.city.saga.lg.jp/site_files/file/usefiles/downloads/s34632_20130321035143.pdf
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 所蔵機関調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000258038