櫻木英里子「明治・大正・昭和期の着物に見られる薔薇模様 : 日本国内における洋花の普及との関係」(共立女子大学家政学部紀要62 2016年)が参考になるのではないでしょうか。
共立女子大学の機関リポジトリからフルテキストが取得できます。
http://id.nii.ac.jp/1087/00003062/【最終アクセス2020/06/05】
以下、大正時代の薔薇のイメージについて、著者の主張を簡単にまとめます(主にpp.28-30)。
(1)大正2年の『婦人画報 春季特別号 令嬢画報』表紙には油絵と思われる薔薇が大々的に描かれ、
令嬢の手許に薔薇が添えられている写真の掲載が確認できることから、
この時代、薔薇の気品あるイメージと令嬢のイメージが重ね合わされて表現されていることがわかる。
(2)大正9年の大町文代の詩集『涙する薔薇』には生田春月の序文が寄せられており、
ここでは、江戸時代以前の薔薇にはなかった薔薇の香りを強調する表現や、
薔薇に親しみをもつ文章を読み取ることができる。
(3)大正11年の『婦人画報』には「薔薇色の頬と婦美人」と際する記事がある。
ここでは、薔薇色の頬が健康の象徴であるとされており、
薔薇の色そのものが美しいと考えられるようになったことがわかる。
また、ポスターでも、女性と薔薇がセットで描かれるようになることから、
明治時代ではまだ高貴なもの、高嶺の花とされていた薔薇が、
大正時代に入ると次第に身近になった様子が読み取れる。
(4)着物の柄としての薔薇のモチーフは、大正時代に多く見られる。
これは、明治期はまだ鑑賞対象としての薔薇が中心だったのに対し、
大正期になると薔薇がさらに身近なものとなった結果、
これが模様として表現されるように至ったのではないか。
また、大正時代の薔薇の表現は、写生的なものが多い。
この理由は、①まだ薔薇が完全に定着しきれていないため、②ボタニカルアートの影響が考えられる。