レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年12月13日
- 登録日時
- 2021/12/07 17:19
- 更新日時
- 2022/09/15 15:38
- 管理番号
- 0018
- 質問
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解決
守山市吉身にある慈眼寺の帆柱観音について
- 回答
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『寺院要覧』p26によると、
「御本尊は、十一面聖観世音菩薩で、延暦23年比叡山御開祖伝教大師が桓武天皇の勅命により唐の国に留学され、帰国の途中海上に大暴風が吹き起り船がまさに覆らんとする時、大師の御祈念によって観世音菩薩が海上に現われたまい、風波忽ちにおさまり恙なく帰国された。大師は遭難の際折れた帆柱をもって末代の為に渡海安穏の結縁として、自ら観世音菩薩と持国天多聞天の二脇士を彫刻し、弘仁元年当寺をお建てになり、この三尊を安置された」
『守山市誌 生活・民俗編』P131-132によると、
「四番 よしみのじげんじ
真帆ひきしはくらも法のしるべにて あふぐよしみのさとのかわらや 十一面観音 伝教大師御院」
「湖東三十三所観音霊場 第四番 住吉山 慈眼寺 十一面観音」
『吉身の歴史と文化Q&A』P7によると
「本尊として安置される秘仏の十一面観世音は伝教大師最澄の自作と伝えられていますが、帆柱観音とも呼ばれているのは、慈眼寺の由来に関わっているのです。
延暦23(804)年、伝教大師最澄は、天台法華経の修学のために唐へ留学します。翌年、多くの経典を携えて船で帰路に着きますが、その途上、海上は暴風雨で波は激しく荒立ち、多くの僚船は海の藻屑となるのです。
伝教大師最澄を乗せた船体も大きく傾き、帆柱は俺、今にも沈みそうになります。そこで大師が仏に嵐が静かになる祈りを捧げると、観世音菩薩が海上に現れ、風雨は平穏となり、無事に遭難を逃れることができたのです。
このため、伝教大師最澄は帰国後、航海安全の結縁として、折れた帆柱で海上に出現した十一面観世音菩薩を自ら刻み、帆柱観音と名付けた観世音像とともに建立した小堂の寺名を慈眼寺と名付けられたのです」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188)
- 参考資料
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- 『守山市誌 生活・民俗編』守山市誌編さん委員会,守山市,2006(M382.1)p131-132
- 『寺院要覧』守山市仏教会,1989(M185.9)p26
- 『吉身の歴史と文化Q&A』吉身中町自治会,2021(M216.1)p7
- キーワード
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- 滋賀県
- 守山市
- 帆柱観音
- 伝教大師
- 最澄
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000308685