レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20170331
- 登録日時
- 2018/12/08 00:30
- 更新日時
- 2018/12/08 00:30
- 管理番号
- 20170331-2
- 質問
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解決
「虹の松原ではセミは鳴かず松も低い」という、秀吉朝鮮出兵時の言い伝えは本当か。
- 回答
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1.秀吉は朝鮮出兵のために2回名護屋城に来ているが、1度目は博多から船で、2度目は大和町尼寺の街道を通っているため、虹ノ松原の方へは行っていない。
2.虹の松原は、江戸時代初期(17世紀初め)に植林しているので、肥田由の朝鮮出兵より後にできている。
この2つから、これは後に作られた話ではないかと考えられる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 九州地方 (219)
- 参考資料
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- 『佐賀県の歴史と文化 平成9年度 佐賀県立神崎清明高等学校 総合学科 自由選択科目 「郷土の歴史と文化」 授業テキスト集 第一集』川副 義敦/著 佐賀県立神崎清明高等学校 1999.6
- キーワード
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- 秀吉
- 虹の松原
- セミ
- 豊臣秀吉
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 佐賀県-歴史219.2(9)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000247515