レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年9月10日
- 登録日時
- 2014/10/31 17:51
- 更新日時
- 2014/12/26 13:46
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2014-039
- 質問
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未解決
正徳元年(1711年)に幕府の命で東海道の緒駅に時の鐘が設置されたと『熱田風土記 巻八』のP.223に記されている。この幕府の命とはどういったものか。発令者、発令日、その詳細な内容等を知りたい。
- 回答
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『宿場と街道』P.168-169に宝永七年(1710)に幕府が時報を申し付ける御触を出したとあります。
『江戸時代の交通文化』P.314には正徳元年道中奉行の達示に「各宿中に鐘のなき所にては香を焚きて其の時刻を宿内に報知せしむ」という事があった、とあります。
また、『近世交通史料集 8巻』P.316及び『日本財政經濟史料 9巻』P.288には、ともに「令条秘録 八」からの引用として宝永七年七月 東海道・美濃路の宿駅で夜間の時刻を知らしむ」と記載があります。
以上の記述以外で「関東の令」について書かれたものは見つからず、発令者等については判明しませんでした。
- 回答プロセス
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『御触書集成編年索引 上』の該当の年にはこの内容に合致するものは見当たりません。
次に当時の記録にあたりました。
『熱田風土記』にも引用されている『塩尻拾遺』には、
「正徳改元の秋、関東命ありて、海道の諸駅をして、昼夜辰尅を旅人に知らしむべきのよし新令ありし。」とありました。
また、『名古屋叢書続編12 鸚鵡籠中記』に、正徳二年に去年のこととして、
「関東の令に乃て、海道の諸駅時の鐘を置(ママ)」P135との記述があり、
『名古屋叢書三編2 尾藩世紀 上』には正徳二年七月に「台命ニ乃て、清洲、鳴海の諸駅ニ報時鐘を置く」P.291とあります。
しかし詳細は分かりません。
交通関係資料に記載がないかと考え、『幕藩制下陸上交通の研究』の中の「正徳の宿駅改革」の項を見ました。
この内容から新井白石の改革に関係するかと考え、『御触書寛保集成』の正徳二年と『折りたく柴の記』も確認しましたが、新井白石はこの関東の令の内容とはかかわりがないようです。
さらに交通関係資料にあたるうち、『宿場と街道』に時報を申し付ける御触を幕府が出したという記述を見つけました。また、『江戸時代の交通文化』に道中奉行の達示とありました。
その他、『近世交通史料集8』『日本財政經濟史料』に令条秘録からの引用として記載がありました。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『熱田風土記 巻八』 池田長三郎/著 久知会 1982年
- 『宿場と街道』 児玉幸多/著 東京美術 1986年
- 『江戸時代の交通文化』 樋畑雪湖/著 臨川書店 1974年
- 『近世交通史料集 8巻』 児玉幸多/編 吉川弘文館 1978年
- 『日本財政経済史料 9巻』 大蔵省/編 財政経済学会 1923年
- 『御触書集成編年索引 上』 小林年春/著 ゆまに書房 1997年
- 『名古屋叢書三編2 尾藩世紀 上』 名古屋市蓬左文庫/編 名古屋市教育委員会 1987年
- 『幕藩制下陸上交通の研究』 深井甚三/著 吉川弘文館 1994年
- 『御触書寛保集成』 高柳真三、石井良助/編 岩波書店
- 『折りたく柴の記』 新井白石/著 岩波書店 1939年
- 『名古屋叢書続編12 鸚鵡籠中記』 名古屋市教育委員会/編 愛知県郷土資料刊行会 1983年
- 『名古屋叢書 第18巻 随筆編 塩尻拾遺』 名古屋市教育委員会/編 愛知県郷土資料刊行会 1982年
- キーワード
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- 時鐘
- 東海道
- 交通
- 時の鐘
- 時報
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000161647