レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年8月31日
- 登録日時
- 2020/09/16 14:33
- 更新日時
- 2022/10/26 14:52
- 管理番号
- 2020-024
- 質問
-
未解決
村井吉兵衛(煙草商)が、同志社病院長ベリー(J.C.Berry)から借りたとされる英文の図書『百科製造(法)秘伝』を特定したい。
村井吉兵衛の伝記『たばこ王・村井吉兵衛 : たばこ民営の実態』(世界文庫, 1964)によれば、1884(明治17)年、仮の同志社病院に入院した村井吉兵衛がベリーから借り、煙草の製造法を学んだとされているが、原題がわかっていない。
村井がベリーに借りた図書について、または村井とベリーの関係についてわかる資料はあるか。
また、『百科製造(法)秘伝』は、内容(煙草の製造法)と出版年から、同志社大学図書館下村文庫に所蔵のSpons' encyclopædia of the industrial arts, manufactures, and commercial products. E. & F.N. Spon, 1879-1882.のDivision 4の可能性がある。
J.C.ベリーの蔵書、あるいは同志社病院の蔵書が下村文庫に引き継がれる可能性はあるか。
具体的には、以下3点についての資料はあるか。
・J.C.ベリーまたは同志社病院と、下村孝太郎の接点について
・J.C.ベリーまたは同志社病院の蔵書の行方について
・下村孝太郎の蔵書の構成について(下村文庫は下村孝太郎の旧蔵書を寄贈されたもの)
- 回答
-
以下の点については資料が見つかりました。
・村井吉兵衛がJ.C.ベリーに借りた図書について(①~④)
・村井とベリーの関係について(①~⑤)
・J.C.ベリーと下村孝太郎の接点について(⑥⑦)
・下村孝太郎の蔵書(1977年に同志社に寄贈されたもの)の構成について(⑧)
以下の点については資料が見つかりませんでした。
・『百科製造(法)秘伝』の原題
・J.C.ベリーの蔵書の行方
・同志社病院の蔵書の行方
見つかった資料は以下の通りです。
①Katherine F. Berry. Katie-san : from Maine pastures to Japan shores, Cambridge, Mass. : Dresser, Chapman & Grimes, c1962.
PARTⅢ Katie Return trip to Japan(p.177~)1919年に日本を再訪した際の記録に、村井吉兵衛についての部分があります。
p.217~「40 Murai Story」に村井が借りた資料について書かれています。
②本井康博著『新島襄の師友たち キリスト教界における交流』(思文閣出版, 2016)
第11章 堀俊造 > Ⅲ 組合協会派との交流
p.272-274「村井兄弟商会」
p.277-279「その後のベリー、村井との交流」
村井が借りた資料について典拠資料をあげて考察しています。
③本井康博「堀俊造 医学部を夢見たクリスチャン・ドクター」(『同志社時報』132, p.70-77, 2011-10)
「同志社と中村翁」というマイクロフィルムに中村栄助による記述があるとのことですが、「同志社と中村翁」という資料は見つかりませんでした。
④「中村翁伝未定稿」(『中村栄助伝稿本』([同志社大学人文科学研究所], [1994])所収)
中村栄助による回想を口述筆記した資料で、「村井吉兵衛氏の思出」という項目があり、関連した内容が書かれています。
⑤Katherine Fiske Berry , A pioneer doctor in old Japan : the story of John C. Berry. New York : F.H. Revell , c1940.
J.C.ベリーの娘キャサリンによるベリーの伝記と、キャサリン自身が日本を再訪した記録です。
再訪時に村井夫妻と会った様子や、村井がベリーと後年再会したいきさつ、ベリーについて恩人であると感謝していることなどが書かれています。
⑥松井全, 児玉佳輿子翻刻『Doshisha faculty records, 1879-1895』(同志社大学人文科学研究所同志社社史資料室, 2004.3)
同志社の教授会で同席しています。また同じ自然科学の分科会に属していたことがわかります。
⑦『同志社学校一覧』自明治廿三年九月 至明治廿四年六月
両名とも同志社普通学校の教員として記載があります。
⑧島尾永康「下村孝太郎における技術と思想」(『同志社時報』62, p.26-35, 1977-01)
p.30に、「下村孝太郎関係寄贈史料目録」があり、「蔵書」は「A 化学図書」「B 心霊研究図書」「C ウースター工科大学時代の教科書」と分類され、図書タイトルの例示もされています。
しかしながら「Spon’s Encyclopedia…」は記載がありません。
また、下村孝太郎氏の旧蔵資料が1974年・1977年の2回にわたって寄贈されたとわかりますが、寄贈された図書が全て図書館の下村文庫とされているわけではなく、学内にどのように分類され保管されているのか、詳細にわかる資料は見つかりませんでした。
詳細は回答プロセスをご確認ください。
- 回答プロセス
-
1.ベリーと下村の接点について
(1)J.C.ベリー(John C. Berry)についての資料
ベリーと村井の交流、ベリーの活動についての資料は見つかったが、下村との接点や村井に貸した資料については情報がなかった。
・Katherine Fiske Berry , A pioneer doctor in old Japan : the story of John C. Berry. New York : F.H. Revell , c1940.
ベリーの娘であるKatherine(Katie) F. Berryによる伝記と手記。
p.215~ PARTⅢ Return visit to Japan 5. The Bank Directors Bow!
Katie F. Berryが日本を再訪した際、村井吉兵衛と会ったこと、村井がベリーに「昔病気を治してくれた」「私の財産を築いてくれた」と大変感謝している様子が書かれている。
村井はベリーの行方を長年知らずにいたが、前年のベリー来日の際の(?)新聞でベリーの写真を見て、恩人「ベリー先生」であると思った。そこでベリーに使いを送って昔京都に住んでいたことを確かめたので、家に招いた。「ベリー先生が病気を治してくれて、それ以来喫煙していない。しかし先生のおかげで財産が築けた」と感謝してもしきれないといった様子であった。といったようなことが書かれている。
p.219にKatherineと村井夫妻と思われる3人の写真「At tea with Mr. and Mrs. MURAI」あり。
p.221~ PARTⅢ Return visit to Japan 7. The Tabacco King’s Villa. Old Toro―Burden Bearer
村井からの「ベリー先生」へのお土産を受け取ったこと、新島八重、堀新造、佐伯理一郎の訪問があったこと、前年(=1918年)ベリーが京都に来た際には、看護学校の同窓会、同志社の同窓会が行われたこと、などが書かれている。
・田中智子「京都看病婦学校開設運動の再検討:地域の支持形態に着目して」(『キリスト教社会問題研究』61, p.13-42, 2013-01-25)
DOI: http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012936
1884年~のベリーの活動について記載あり(典拠資料の記載あり)。
「京都に来て間もない前年(=1886年(明治19年))2月には市中四ヵ所の教会において生理学や衛生学の口授を始めていたし、噂を聞きつけてやってくる患者に対する施術も行っていた。1886年9月には、Jerome Davis(以下デイヴィス)の家を拠点とした診察・教育が開始され」
また、ベリーの書簡についての抄訳『John C.Berry 書簡集 : 1871-1896』があることがわかる。
・解読・抄訳 坂本鈴子『John C.Berry 書簡集 : 1871-1896』([同志社大学人文科学研究所], [1966])
1889年~1893年を確認。アメリカン・ボードへの報告の書簡であり、診療や日常の細かい内容は記載が少ないようである。下村に言及している箇所もあるかもしれないが「抄訳」部分では確認できず。
※元となっている資料は「アメリカン・ボード宣教師文書」(Papers of the American Board of Commissioners for Foreign Missions 図書館にマイクロフィルムを所蔵。人文科学研究所にマイクロフィルムからの紙焼きを所蔵)。
・「4 宣教医 同志社病院長ベリー」(井上勝也著『新島襄 人と思想』晃洋書房, 1990, p.207-237)
ベリーの滞日中の活動についてまとめられている。
p.223-224「ベリーは1884(明治17)年3月までに…契約で岡山県立病院を離れることができなかった」「1884(明治17)年4月3日、サンフランシスコに着いた」
p.226「1886(明治19)年1月始め、京都にやってきた」
→明治17年に京都で「仮の同志社病院」にいた可能性は低いのではないか。
・”ベリ John Cutting Berry”(『国史大辞典』, JapanKnowledge Lib, [参照 2020-08-31])
略歴あり。参考文献として、キャサリン=ベリー『ジョン・シー・ベリー物語』(更井美子訳)が挙げられている。
→蔵書検索ではヒットせず。
→Web検索
レファレンス協同データベース ジョン・ベリー物語(岡山県立図書館デジタル岡山大百科)
http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/ref/M2008010515075562814 [参照 2020-08-31]
『A Pioneer Doctor in old japan : the story of John C. Berry』を「更井美子が「ジョン・C. ベリー医学博士のお話」として日本語に訳出したものが昭和24年に20部発行されており『岡山市百年史 資料編1』に収録されている」。
→『ジョン・C. ベリー医学博士のお話』は岡山県立図書館に所蔵あり(複製)。
→岡山市百年史 資料編1 郷土資料目次情報(岡山県立図書館デジタル岡山大百科)
http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2008011911413863283 [参照 2020-08-31]
p.208から50ページほど。全文ではなく岡山県に関する部分のみの訳出か。
・”ベリー John Cutting Berry [1847-1936]”(『日本大百科全書』, JapanKnowledge Lib, [参照 2020-08-31])
略歴あり。「1918(大正7)に再来日した。」
・長門谷洋治「J.C.ベリー―本部宛報告書にみるその一面―(同志社人物誌(54))」(『同志社時報』77, p.100-105, 1984-11)
Web公開:
https://www.doshisha.ac.jp/information/public/doshishajihou/backnumber/jihou077.html [参照 2020-08-31]
ベリーがアメリカン・ボード宛に送った報告書の抄訳の概略。ベリーの活動についてはわかるが、下村との交流については記載なし。
・長門谷 洋治「John C・Berry研究序説」(『日本英学史研究会研究報』1965, 32 号, p.1-10)
DOI: https://doi.org/10.5024/jeiken1964.1965.32_1
ベリーの別名について「別麗」「別礼」記載あり。
p.9に「〔付〕Berryの日本人交友関係」あり。下村の氏名なし。(堀俊造の氏名もなし。)
以下にも下村について記載なし。
・大久保利武『日本に於けるベリー翁』(東京保護会, 1929)
・井上勝也「宣教医John Cutting Berry (アメリカの宣教師の活動とその背景-2-)」(『同志社アメリカ研究 別冊』(6), p.1-32, 1982)
(2)下村孝太郎・下村文庫・下村孝太郎の蔵書の構成についての資料
下村孝太郎の蔵書の入手経路など詳細については資料が見つからず。
同志社に寄贈されたのは、1974年、1977年の少なくとも2回。1977年に寄贈されたものについては簡単な目録があり、蔵書についても分類はされているが、ベリーとの関連については記載なし。
また、これらの寄贈資料のうち、どの資料が図書館の「下村文庫」に入ったのか不明。図書以外の資料(文書や模型等)は社史資料センターで保管されているようだが未整理であるとのこと(一部、Webサイト「新島遺品庫の資料公開」で公開している資料もある)。
・島尾永康「下村孝太郎における技術と思想」(『同志社時報』62, p.26-35, 1977-01)
Web公開:
https://www.doshisha.ac.jp/information/public/doshishajihou/backnumber/jihou062.html [参照 2020-08-31]
p.30に、「下村孝太郎関係寄贈史料目録」あり。
「七 蔵書」については「A 化学図書」「B 心霊研究図書」「C ウースター工科大学時代の教科書」と分類され、図書タイトルの例示もされているが、「Spon’s Encyclopedia…」は記載なし。また例示されている図書タイトルについて、本学OPACではヒットしないもの、図書館所蔵でないもの(=図書館の下村文庫には入っていないもの)があり、寄贈された資料全体の行方について詳細が不明。
「前回(1974年)にひきつづいて今回(1977年)も下村孝次氏から同志社へおびただしい下村孝太郎関係資料が寄贈された。これらは同志社社史資料編集所で鄭重に保存されるはずである。」
→同志社社史資料センターに確認。以下の回答を得る。
・資料全体については未整理である。
・社史資料センター内には、「化学工業関係の模型」らしきものが保管されている。
・書簡など一部は「新島遺品庫資料の公開」で公開されている。
新島遺品庫資料の公開
http://joseph.doshisha.ac.jp/ihinko/html/n01/n01010/N0101001G.html [参照 2020-08-31]
「下村孝太郎」で検索すると書簡、熊本洋学校卒業証書などが閲覧できる。
・島尾永康「下村孝太郎先生―ハリス理科学校と化学工業における創業―」(『同志社時報』(53), 1975-01, p.4-10)
Web公開:
https://www.doshisha.ac.jp/information/public/doshishajihou/backnumber/jihou053.html [参照 2020-08-31]
新島と下村の関係、ハリス理化学校(理科学校)については記述あり。ベリーには言及なし。
末尾に「このたび下村孝太郎先生の令息幸次氏より、先生ゆかりの貴重な資料と蔵書とが同志社に寄贈された。」とあり、前年1974年の資料寄贈を指すと思われる。
・『同志社百年史』通史編2(1979)
第5部再生と発展>第8章同志社の現況と課題>図書館の整備充実
p.1565「下村孝太郎の化学関係の図書は社史史料編纂所に寄贈され」
→1974年、1977年の資料寄贈は、図書館に直接寄贈されたわけではない。1979年時点では図書館下村文庫も存在しない。
→Spons' encyclopædia of the industrial arts, manufactures, and commercial products. E. & F.N. Spon, 1879-1882.
Division 4を確認。
現物の検収印は1993年6月24日のもの。
→図書館で蔵書として登録されたのは1993年。
また、その他の図書館下村文庫も、1993年度の登録となっている。
→図書館に登録された際の記事がないか。
・『同志社大学学術情報センター報』
Webで公開している。
図書館刊行物|同志社大学図書館
https://library.doshisha.ac.jp/guide/outline/library_publications.html [参照 2020-08-31]
1993年度~1994年度を確認。
「下村文庫」について記載なし。
・若松兎三郎編『下村先生追憶録』(1938)
下村孝太郎の死後の「追憶会」の記録。
下村と同志社病院、下村とベリーの接点については記述なし。
p.48-49「佐伯理一郎氏談」によると、下村と佐伯は明治8年から交流があった。
明治15年から京都、その後アメリカでも留学先で交流がある。特に明治20年の夏季学校では同室だった。
明治21年帰国以降も、京都で交流があった。下村の母がコレラに罹った際、佐伯が内科の専門医を呼ぶことになり、同志社病院の「ベレー」が帰国して不在だったために半井澄を呼んだが、下村の母は亡くなった、というエピソードが書かれている。
→佐伯理一郎は1891年(明治24年)から同志社病院に勤務。看病婦学校で講義を行い、後に同志社病院長、看病婦学校校長。1897年(明治30年)病院・学校ともに経営を委託された。
・森一郎「下村孝太郎と新島襄との往復書簡 : 1881年~1890年」(『新島研究』(109), p.134-161)
DOI: http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000253
p.149 新島から下村への書簡(1888年(明治21年)6月4日)でベリーに言及あり。「募金の為のアピールにアメリカを訪問することを考えていた。…私の健康の為にBerry医師が強く反対した。」
→この書簡は『新島襄全集』第6巻(英文書簡編)p.326-330に収録がある。
p.161「資料Ⅱ 下村孝太郎略歴」あり。
・『新島襄全集』第9巻 来簡編(1994)
新島襄への書簡集(和文の書簡のみ)。
下巻の巻末索引より下村孝太郎から新島襄への書簡を確認。
p.183-185 「89 明治18年7月13日」
p.212-214 「104 明治19年1月25日」
→ベリーについては言及なし。
・島尾永康「日本化学工業会の先駆者、下村孝太郎(同志社人物誌(67))」(『同志社時報』91, p.125-132, 1991-03)
Web公開:
https://www.doshisha.ac.jp/information/public/doshishajihou/backnumber/jihou091.html [参照 2020-08-31]
お探しのことについては情報なし。
・下村孝太郎著『我が宗教観』(北文館, 1933)
ベリーについては記述なし。新島襄とのエピソードはあり(p.19-20)。
⇒以上からは、ベリーと下村の直接の交流を示す資料は見つからなかった。ただし、新島襄、佐伯理一郎、堀俊造、中村栄助、とは2人とも交流があったとわかる。
(3)同志社の歴史に関する資料
J.C.ベリー、下村の経歴をそれぞれ確認したところ、ベリーと下村が同志社に同時にいた時期はおよそ1889年(明治22年)9月~1893年(明治26年)10月。
その時期について調査した。
・松井全, 児玉佳輿子翻刻『Doshisha faculty records, 1879-1895』(同志社大学人文科学研究所同志社社史資料室, 2004.3)
「まえがき」によると、1879年(明治12年)9月11日から1895年(明治28年)3月26日の、同志社英学校の教授会記録。
p.232(1889年10月10日)以降、教授会の出席者として「Shimomura」「Berry」両方が記載されている回が見られる。
p.267 1891年5月14日の教授会で、教員を分野ごとのグループに分けることが決定されている。
p.268-269 5月28日の教授会で「Berry」「Shimomura」はグループ4(=Natural Science)に分けられている。
p.311-324の解題(北垣宗治による)は、教員のグループ分けについても触れている。
巻末索引もあり。
なお
・『同志社百年史』資料編2(同志社, 1979)
にも、英文資料(巻末)p.79~163に「95 Dohisha Faculty Records」が収録されている。
ただし『Doshisha faculty records, 1879-1895』(2004)によると、後半部分にあたる1889年9月以降の翻刻である。
・『同志社学校一覧』自明治廿三年九月 至明治廿四年六月
本学OPAC: http://doors.doshisha.ac.jp/opac/opac_link/bibid/BB00841786 [参照 2020-08-31]
p.36~ 「第六 普通学校」の「第一條 職員」に「教員」として掲載あり。
「化学物理学バチロル、オウ、サイエンス 下村孝太郎 熊本県」
「生理学、衛生学ドクトル、オウ、メデシン ジエ、シ、ベルリ 同(=米国)」
→2人とも同志社普通学校の教員だった時期がある。
・『同志社文學會雜誌』(同志社文學會)
本学OPAC: http://doors.doshisha.ac.jp/opac/opac_link/bibid/SB00964186 [参照 2020-08-31]
タイトルは「文学会雑誌」だが、各種の演説会活動から発生した雑誌(『同志社百年史』通史編1 p.172)であり、同志社内のできごとを掲載している「記事」もある。
下村とベリーが同じ記事内に登場することはないため交流については不明。ただし同志社内では様々な「会」が催されていたことはわかる。
「礼拝堂日誌」(演説会の演者と内容の記録か)には下村が演説した日、「ベレー」が演説した日あり。
「記事」によれば「同志社教員親睦会」も各宣教師宅で開催されていた(月一回との記述もある)。例えば40号p.40「教員親睦会」は下村が司会者をした会(明治24年2月16日)についての記事。
・『同志社文学』(同志社文学社)※『同志社文學會雑誌』の改題
本学OPAC: http://doors.doshisha.ac.jp/opac/opac_link/bibid/SB00960331 [参照 2020-08-31]
59号p.44「教師親睦会」はベリー宅で開催された「教師親睦会」(明治25年10月中旬)についての記事。
・『同志社山脈:113人のプロフィール』(晃洋書房 , 2002)
下村孝太郎、 J.C.ベリー、佐伯理一郎の項目(略歴・写真・参考文献)あり。
お探しのような情報はない。
2.ベリーが村井に貸した(渡した)資料について
『百科製造(法)秘伝』のタイトルがわかる資料は見つかっていない。
煙草の害について書かれた資料を貸したという情報は見つかった。
(1)村井吉兵衛の伝記を確認
・大溪元千代著『たばこ王・村井吉兵衛:たばこ民営の実態』(世界文庫, 1964)
p.10 明治17年、吉兵衛(当時は小三郎)の父→中村栄助→ベリー(同志社病院院長)という紹介で仮病院に入院したと書かれている。
「ベリー博士は十六年より病院を建設中であったので…仮病院に入れた」
※別資料(田中智子)によると、ベリーは明治17年4月~明治18年11月まで京都を離れており、宣教師宅を仮の病院として診療を始めたのは明治19年以降。
p.11 「ベリーは若い小三郎に療養中の心得をはなした。酒とたばこの害をきかされた小三郎は…院長に、たばこに関する書籍を貸してほしいと頼んだところ、…「百科製造秘伝」という書籍を貸した。」
p.282引用文献(入院中の小三郎)より『日出新聞』大正15年1月5日~7日を確認。
→「村井吉兵衛翁出世譚(二)若い時から活動の人凡有る機会を捉へて煙草の研究に利用した 中村栄助翁の思ひ出話」(『京都日出新聞』大正15年1月6日, 朝刊, p.3)
「ベルリー氏は至極謹厳な人で若い小三郎君に対して酒と煙草の害を説いた 煙草の害について聞いた小三郎君は煙草に関する書籍を一冊借り受けたが英語が読めぬため其の当時助手をして居た堀俊造医師(最近まで賀茂に住み現存して居た)が受持ちであったので堀氏に翻訳する人を世話して貰って入院中に外国の煙草に関する製法から如何なるものが多く害になるかといふ事を知った」
なおp.282引用文献(入院中の小三郎)に記載の他の資料のうち
・『同志社五十年史』(同志社校友会 , 1930)※p.78-82「同志社病院及び京都看病婦学校」
・村井宇野子著『宇野花』(伊藤良喬, 1916)
・渡辺実著『新島襄』(吉川弘文館, 1959)
を確認するが、『百科製造秘伝』については記載がなかった。
(2)Googleブックスで「berry murai kichibei」検索
・Dallas Finn. Meiji revisited : the sites of Victorian Japan, New York ; Tokyo : Weatherhill , 1995.
>Chapter7 The Race to Build Industry >Tobacco and Alcoholic Beverages(p.122-)
“Kichibei was deeply impressed by an antitobacco tract given him by a kindly missionary at Doshisha, Dr. John C. Berry, who sought to dissuade the young men from smoking. Instead, the tract’s statistics on the rising profitability of cigarette manufacturing persuaded Kichibei, his brother, and his brother-in-low to go into the business.”
→ベリーが”antitobacco tract”を村井に渡したとある(入院中とは書かれていない)。
この部分の典拠資料としてFrank Cary. The Lighter side of history. Kobe: J. L. Thompson, 1933)p.5-6が挙げられているが、国内に所蔵がない。
・Katherine F. Berry. Katie-san : from Maine pastures to Japan shores, Cambridge, Mass. : Dresser, Chapman & Grimes, c1962.
PARTⅢ Katie Return trip to Japan(p.177~)1919年に日本を再訪した際の記録に、村井吉兵衛についての部分がある。
p.217~「40 Murai Story」
・ベリーが若い村井を治療した際、タバコを止めるようにとW.C.T.U.(Women’s Christian Temperance Union)のtract(小冊子)を渡した話
・ベリー再来日の際(1918年)新聞でベリーの写真を見た村井が、ベリーに使いを出して、ベリーが村井を思い出したため、2人が再会した話
(3)新島襄の交流についての資料
・本井康博著『新島襄の師友たち キリスト教界における交流』(思文閣出版, 2016)
村井がベリーに借りた資料についてまとまった記述あり。
第11章 堀俊造 > Ⅲ 組合協会派との交流
p.272-274「村井兄弟商会」
村井が借りた資料について、諸説を出典と共に記述し、『百科製造法秘伝』は入院中に借りたものではないのでは、と述べている(ベリーから借りたとしても退院後ではないか、とのこと)。
p.277-279「その後のベリー、村井との交流」
『A Pioneer Doctor In Old Japan』『Katie San』に書かれている内容がまとめられている。
また煙草の商品名について村井がベリーに相談し、「サンライス」がよいのではとベリーが助言したことが書かれている(典拠は『近代京都を生きた人々 明治人物誌』p.161)。
なお下村孝太郎については記述が見つからない(巻末「人名索引」に「下村孝太郎」なし)。
(4)同志社時報の内容検索(本学HPでキーワード検索)
・杉田博明「近代京都と同志社」(『同志社時報』79, p.92-95, 1985-10)
p.94に村井が入院中に「宣教医のベリィーから一冊の英書を渡される。『百科製造法秘伝』とあった」とあるが、原書についての情報はなし。
・本井康博「堀俊造 医学部を夢見たクリスチャン・ドクター」(『同志社時報』132, p.70-77, 2011-10)
Web公開:
https://www.doshisha.ac.jp/information/public/doshishajihou/backnumber/jihou132.html [参照 2020-08-31]
p.70同志社病院の「開院当初からベリー院長を助け、そして病院の終焉を見届けたのが、堀俊造(俊三)である」
p.71より、堀俊造の孫にあたる村井正三氏から、堀俊造関連の資料の一部が、本学神学部に寄贈されたとわかる。この記事ではそのうち「故堀俊造之履歴」について紹介している。
※「故堀俊造之履歴」は神学部で所蔵。
本学OPAC: https://doors.doshisha.ac.jp/opac/opac_link/bibid/BB12183185/?lang=0 [参照 2020-08-31]
p.74「村井兄弟商会」
「故堀俊造之履歴」のなかで、村井吉兵衛について述べられている部分を紹介している。
「村井吉兵衛氏は、村井兄弟商会を設立して、煙草製造工場を起こすや、ベレー氏を介して、(堀派)外国たばこの輸入を村井氏のため目尽力し、同時に同工場顧問委を兼務したるを以て、故人(=堀)は幾多無職の青年を、続々、右煙草会社に入社せしめ」
→村井吉兵衛と堀俊造は交流があったことがわかる。
「一説には、新島も堀同様に、村井とは、彼が煙草産業に手を染める前から交遊があったという。同志社理事の実業家、中村栄助によると、土曜に同志社から新島を始め、教員や学生を呼んで、家庭集会を開いた時など、同じ町内の村井もよく聞きにきたという(「同志社と中村翁」、1933年、同志社大学人文科学研究所マイクロ・フィルム)。村井をベリーの同志社病院に紹介したのも、中村である。入院中の村井に、ベリーが煙草の害を説いた本を3,
4冊、貸したところ、英書が読めないので、堀に「誰か読んでくれる人を紹介してほしい」と依頼したという(同前)。あるいは、「煙草王」になれたのは新島のおかげ、と終生、村井は感謝していた、との伝説さえある。」
→「同志社と中村翁」というタイトルの資料は見つからず。
→中村栄助についての資料を探す。
・河野仁昭著『中村栄助と明治の京都』(京都新聞社, 1999)
p.218~「中村栄助の伝記資料―あとがきに代えて」
中村栄助がおそらく八十歳であるころ(昭和2年=1927年)に口述した自伝的内容を筆記した資料『中村翁伝未定稿 第一号』について説明があり、章タイトルにあたるものを列記している。章タイトルの中に「村井吉兵衛氏の思出」あり。
→人文科学研究所所蔵の下記マイクロフィルムに『中村翁伝未定稿』が収録されているため、内容を確認。
・『中村栄助伝稿本』([同志社大学人文科学研究所], [1994])
本学OPAC: http://doors.doshisha.ac.jp/opac/opac_link/bibid/BB10013849 [参照 2020-08-31]
本学OPAC: http://doors.doshisha.ac.jp/opac/opac_link/bibid/BB10013870 [参照 2020-08-31]
以下のことが書かれている。
・中村栄助と村井は同じ町内だったことから交流があった。
・土曜日には同志社から中村宅へ新島襄などを招いてキリスト教などの講義をしてもらったが、村井も時折参加していた。
・ただし村井と新島は新島の生前に直接の交流はなかった。
・「いつの頃であったか」村井が病気にかかったとき、中村が「烏丸通りの同志社病院」に紹介した。
・村井が入院してから、「当時の院長ベレー博士は氏が煙草屋であることを知ってか知らないでか、或いは多分病人の無聊を慰むる為めであっただろう、兎に角氏に煙草の害を説いてある書物を三四冊氏に貸し与えられた。けれども其は英書であるから、固より氏に読めよう筈がない。 … 病院の医者であった堀俊造氏に、或日のこと、氏は枕もとの英書を示して、「先生、院長は私にこんな本を貸して下さったのですが、何が何だかさっぱり解りませんので、誰か読んで呉れる人は居りますまいか」と訊いたのである。すると堀医師もちょっと考えて居たが「宜しい、では私が其れの読める人を一つご紹介しましょう」と答えて、其後同志社の学生を村井氏に紹介して呉れた。 … まさかベレー博士も、自分の貸し与えた書物の中に、患者として入院して居た村井氏の、将来の成功の種があったとは考えなかったであろう。唯単に退屈凌ぎにと思って、幸い持ち合わせた書物を取り出して貸したのかもしれない。然るにそれが返って煙草の害を識ると云うより、寧ろ製造研究の端緒を見出させた訳になったのである。何と云う皮肉な話であろう。」「村井氏は…学生が講釈して呉れる其書物の内容を、じっと考えながら聴いて居ったが、実はすっかり西洋に於ける煙草の原料に関する新知識を…獲得して了ったのである。」
・「若し村井氏が平凡な人であったならば、假令ベレー博士から借りた書物が、自分の商売に関係した煙草のことであったにせよ、それは唯煙草の外を説いたもので、自分の商売にとっては寧ろ何の役にも立たぬものとして、勿論一顧だに与えないで其侭棄てて了ったであろう。」
・西洋貿易会社に関係していた中村に村井が頼んで、アメリカから煙草の原料見本を取寄せたこともあった。
・明治32年村井が海外視察に行く際、中村は上野栄三郎・石本三十郎を紹介した。
・帰国後は西洋貿易会社を通じて原料を輸入した。
→堀俊造の日記などがないか探す。
・堀俊造関係資料
本学OPAC: http://doors.doshisha.ac.jp/opac/opac_link/bibid/BB12293652 [参照 2020-08-31]
人文科学研究所の文書室に所蔵。
人文科学研究所 所蔵資料について
https://jinbun.doshisha.ac.jp/books_list/list.html [参照 2020-08-31]
仮目録を確認するが、日記はなし。
3.「同志社病院の蔵書」について
確認できた記録類では蔵書については記述なし。
・The first annual report of the Dōshisha Hospital and Training School for Nurses(1887)
本学OPAC: http://doors.doshisha.ac.jp/opac/opac_link/bibid/SB10006116 [参照 2020-08-31]
「新島遺品庫の資料公開」で閲覧可。
http://joseph.doshisha.ac.jp/ihinko/html/n01/n01010/N0101001G.html [参照 2020-08-31]
※「条件から検索する」より目録番号0170で検索
地図(画像10170003)によると、病院には図書室のようなものはない。看病婦学校のほうには読書室(Nurse’s Reading Room)がある。佐伯理一郎が同志社から看病婦学校を引き取ったので、多少資料を持っていた可能性もある。
→同志社に寄贈された佐伯理一郎の旧蔵資料は2種類ある(寄贈の時期や経緯が異なるため)。
①「佐伯理一郎旧蔵資料」(2018年より人文科学研究所に所蔵)
本学OPAC: http://doors.doshisha.ac.jp/opac/opac_link/bibid/BB13073341 [参照 2020-08-31]
目録(下記資料p.77~)では同志社病院の蔵書は見当たらない。
・林潔「佐伯理一郎旧蔵資料の紹介」(『キリスト教社会問題研究』,(67), p.73-104, 2018-12-20)
DOI: http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000359
②「佐伯理一郎関連資料(仮)」(1998年より社史資料センターに所蔵)
下記資料に内容紹介がある。
・本井康博「佐伯理一郎と内村鑑三―「佐伯理一郎・小糸関係資料」の紹介―」(『同志社談叢』(19), p.123-144, 1999-03)
「日記」「手帳」「医療日誌」とあるが明治17年時点のものは記載なし。
「蔵書」(15点)とあるが内容は未確認。
4.ベリーの蔵書について
資料が見つかっていない。
・『同志社年度報告』明治24年度~明治27年度を確認。
「寄付目録」物品の部に書籍名と寄贈者名のリストあり。
ベリーからの寄贈資料は記載なし。
- 事前調査事項
-
同志社社史資料センターには問い合わせ済み。
- NDC
-
- 衣食住の習俗 (383 10版)
- その他の雑工業 (589 10版)
- 教育史.事情 (372 10版)
- 参考資料
-
-
by Katherine F. Berry , Berry, Katherine Fiske. Katie-san : from Maine pastures to Japan shores. Dresser, Chapman & Grimes, 1962.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I004367291-00 (NCID:BA19784464) -
本井康博 著 , 本井, 康博, 1942-. 新島襄の師友たち : キリスト教界における交流. 思文閣出版, 2016.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027667067-00 , ISBN 9784784218677 (NCID:BB22283599) -
本井康博. 堀俊造 医学部を夢見たクリスチャン・ドクター. 同志社時報, 132, p.70-77, 2011-10.
https://www.doshisha.ac.jp/information/public/doshishajihou/backnumber/jihou132.html [参照 2020-08-31] - 中村栄助伝稿本. [同志社大学人文科学研究所], [1994]. (本学書誌ID:BB10013849)
-
Berry, Katherine Fiske. A pioneer doctor in old Japan : the story of John C. Berry, M.D. / by Katherine Fiske Berry. F.H. Revell, 1940.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003120824-00 (NCID:BA12722505) -
松井全, 児玉佳輿子[i.e. 児玉佳與子] 翻刻 , 北垣宗治 監修・解題 , 松井, 全, 1929- , 児玉, 佳与子, 1933- , 北垣, 宗治, 1929-. Doshisha faculty records : 1879-1895. Doshisha Arcives, 2004.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007320412-00 (NCID:BA66559725) -
同志社学校一覧. [出版者不明], 1891.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I002523721-00 (NCID:BN07300427) -
島尾永康. 下村孝太郎における技術と思想. 同志社時報, 62, p.26-35, 1977-01.
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田中 智子 , 田中 智子. 京都看病婦学校開設運動の再検討 : 地域の支持形態に着目して. 2013-01. (杉井六郎名誉教授追悼記念号) キリスト教社会問題研究(61) p. 13-42
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-
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-
レファレンス協同データベース ジョン・ベリー物語(岡山県立図書館デジタル岡山大百科)
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岡山市百年史 資料編1 郷土資料目次情報(岡山県立図書館デジタル岡山大百科)
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-
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杉田博明. 近代京都と同志社. 同志社時報, 79, p.92-95, 1985-10.
https://www.doshisha.ac.jp/information/public/doshishajihou/backnumber/jihou079.html [参照 2020-09-25]
-
by Katherine F. Berry , Berry, Katherine Fiske. Katie-san : from Maine pastures to Japan shores. Dresser, Chapman & Grimes, 1962.
- キーワード
-
- Berry, John C, 1847-1936
- 村井, 吉兵衛, 1864-1926
- 『百科製造法秘伝』
- 同志社病院
- 同志社大学図書館下村文庫
- 下村, 孝太郎, 1861-1937
- 煙草
- 喫煙
- 同志社
- 照会先
-
- 同志社社史資料センター
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 同志社
- 質問者区分
- 学外者
- 登録番号
- 1000287230