レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/03/15
- 登録日時
- 2023/08/05 00:30
- 更新日時
- 2023/08/05 00:30
- 管理番号
- 小寺池図書館 R1001294
- 質問
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解決
ベースボールを最初に「野球」と訳したのは誰か。正岡子規なのか中馬庚(ちゅうまんかなえ)なのか。以前は子規だと言われていたが、最近のインターネットの情報では中馬だとの記述があるようだ。
- 回答
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◎国語辞典である参考資料(1)には「明治26(1893)年頃に一高ベースボール部の中馬庚らが「野球」の語を考え出し、同部史(明治28年)の表題として用いた。」(52ページ)とある。
◎1973年刊(新装版は1986年)の参考資料(2)には「ベースボールの意味で「野球」ということばを子規がつかったこと(書き残したこと)は一回もない。」(185ページ)とあり、明治29年発表の『松蘿玉液(しょうらぎょくえき)』で子規はベースボールをそのまま使用しており「ベースボール未だ曾て訳語あらず」と書き添えているとのこと。(189ページ)
1976年刊の参考資料(3)には明治27年に一高のマネージャー中馬庚が「Ball in the field 」から「野球」という訳を思いつき「校友会雑誌」の予告を「野球部史」としたことが活字になったはじめてのものとある。また明治28年2月発行の「校友会雑誌」号外「野球部史」の序文に表題のいきさつを中馬が書いたとある。(35-36ページ)
◎但し、参考資料(2)によると明治23年の子規の著作『筆まかせ』第二篇の「雅号」と題する文章で、子規が使用したペンネームのなかに「野球」という語があり、同年附けの子規書簡でも「野球拝」と署名があるが、読みは本名の升(のぼる)から「ノボル」と読まれるべきとある。「野球」という語を最初に組み合わせて使用したのは子規だが「「ベースボール」の訳語として、その意味をもたせてつかったと言うことはできない。」とある。(185-187ページ)
◎管見の限り1970年代から訳語の考案者は中馬とされていたが、子規説が流布した要因と考えられる言説として、参考資料(2)で紹介されている河東碧梧桐著『子規の回想』からの引用文「「ベースボール」を訳して「野球」と書いたのは子規が嚆矢であった。が、それは本名の「升(のぼる)」をもじった「野球(ノボール)」の意味であった。」や、柳原極堂著『友人子規』からの引用文「ベースボールを、野球と初めて訳したのは子規である。それが成語となって、其儘今日通用しているのだから、野球の名附親は子規であるのみか、…」(184ページ)がある。
1988年刊の参考資料(4)では「うっかり発言、不用意な引用-誤った俗説を生む-」との項目を立て、上記の言説や1986年刊『読売新聞五十年史』を紹介している(90-92ページ)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 日本国語大辞典 第13巻 小学館国語辞典編集部/編集 小学館 2002.1 813.1 , ISBN 4-09-521013-3
- 正岡子規 久保田正文/著 吉川弘文館 1986.7 911.362 , ISBN 4-642-05047-7
- 白球太平洋を渡る 池井優/[著] 中央公論社 1976 783.7
- “野球”の名付け親・中馬庚伝 城井睦夫/著 ベースボール・マガジン社 1988.11 783.7 , ISBN 4-583-02703-6
- 子規とベースボール 神田順治/著 ベースボール・マガジン社 1992.12 911.362 , ISBN 4-583-03037-1
- 正岡子規と明治のベースボール 岡野進/著 創文企画 2015.11 911.362 , ISBN 978-4-86413-074-5
- キーワード
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- 野球
- ベースボール
- 正岡子規
- 中馬庚
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 芸術・スポーツ
- 内容種別
- 一般資料
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000336978