レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/11/05
- 登録日時
- 2023/06/05 00:30
- 更新日時
- 2023/06/05 00:30
- 管理番号
- 6001012662
- 質問
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解決
式子内親王が斎宮をしてた時の服(衣装)はどんな衣装だったのか知りたい。
式子内親王が着ていた衣装が分からなければ、斎宮が着ていた衣装でもよい。
- 回答
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「式子内親王が斎宮をしてた時の服(衣装)はどんな衣装だったのか」について、
以下の通り回答いたします。
まず、ご承知かと思いますが、「斎宮」と称される方は、伊勢斎宮と賀茂斎王のお二人いらっしゃいます。
式子内親王は平治元年10月~嘉応元年7月まで賀茂神社の賀茂斎王を勤められました。(下記資料参照)
・『国史大辞典 6』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 p120-122 「齋院」の項
斎宮の衣装について当館所蔵の資料には以下のような記述がありました。
・『伊勢斎宮と斎王』 榎村 寛之/著 塙書房 p110-111
「初齋院で用意される調度類を見よう。…衣装料として白絹、赤い絹、両面という高級織物、白綾などとともに紅花(赤の染料)、クチナシ(黄の染料)が見られる。斎王の衣装は白・赤・黄色などの華やかなものだったらしい。ところが野宮に移る時になると、衣装料は白絹と綿と紅花のみになる。白の衣装に緋の袴というイメージだろうか。…そして…新嘗祭の時の衣装にも、白絹や紫の絞り染めの帛(ていねいな作りの絹)などを使ったというから、儀礼の時には白い衣装を着るのが普通だったようだ。」
上記の調度類は、10世紀に編纂された『延喜式』の「斎王式」により細かく定められていたようです。
『延喜式』の「斎王式」の衣装料の原文は以下資料で確認いただけます。
・『新訂増補 国史大系 26』 黒板 勝美/著 吉川弘文館 p102、p107
また、下記資料には伊勢斎宮であった良子内親王(1030-77)が「二藍のうすものの単衣を重ね、紅の袴をつけた姿」で、「普段の斎王が、都の姫君とほとんど変わらない装いをしていたことをうかがわせる」との記述があります。
・『斎宮』 榎村 寛之/著 中央公論新社 p96
そして、『伊勢神宮に仕える皇女・斎宮跡』 駒田 利治/著 新泉社 の表紙には斎宮の衣装を再現した写真があります。これは斎宮歴史博物館提供の写真で、
・「関西文化.com」(https://www.kansaibunka.com/facilities/00000000139)
で同じ写真を見ていただけます。
斎宮歴史博物館にお電話で斎宮の衣装について伺ったところ、以下のようにご回答いただきました。
「斎宮は、通常は当時の貴族女性と同じく、十二単を着ていたと考えられる。
上記写真は、正月の挨拶という公式行事に臨む斎宮をイメージして再現したもの。伊勢神宮に祈りを捧げたり、公式行事の際は、上半身に上記写真のような白い『小忌衣(おみごろも)(*『国史大辞典 2』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館p914-915参照)』を身に着けていたと思われる。
というのは、天皇や斎宮など神に近い存在は、人の手をつけていない色ということで白を身に着けるという記述がある資料があるためです。」
とのことでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 国史大辞典6国史大辞典編集委員会/編吉川弘文館 (p120-122)
- 伊勢斎宮と斎王榎村 寛之/著塙書房 (p110-111)
- 新訂増補 国史大系 26黒板 勝美/著吉川弘文館 (p102、p107)
- 斎宮榎村 寛之/著中央公論新社 (p96)
- 伊勢神宮に仕える皇女・斎宮跡駒田 利治/著新泉社 (表紙)
- 国史大辞典2国史大辞典編集委員会/編吉川弘文館 (p914-915)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000334207