レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/10/28
- 登録日時
- 2023/12/13 00:30
- 更新日時
- 2023/12/13 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-230135
- 質問
-
未解決
松島町の五大堂棟札(『松島町史』資料編1, 松島町, 1989年, pp.596-597.)と、鰐口(『宮城県史』17, 宮城県史刊行会, 1956年, p.98.)について
1 「照鏡」という人物名が棟札に記されているが、どのような人物なのか知りたい。見仏上人と関係があるのではないか。
2 鰐口に記されている「真壁助安」と「又五郎入道」はどのような人物なのか知りたい。
3 鰐口は現存していないようだが、どのようなものなのか。
- 回答
-
1 五大堂棟札に記されている「照鏡」という人物について
(1)下記資料に「照鏡」に関する記載がありました。 ※【 】内は当館請求記号です。
資料1 清水眞澄監修・執筆, 濱田直嗣[ほか]執筆『瑞巌寺五大堂五大明王像』瑞巌寺, 2018年【K718/スイ2018.3】
pp.13-16「随想 松島五大堂のある風景」-「二 五大堂の建設と経営」の項
pp.13-14「伊達政宗による五大堂再建の経緯は、先ず「棟札」が〈(略)寺務を法印大僧都照鏡、(略)〉と記録し(中略)法印大僧都が責任者の一人であった点は鹽竈神宮寺系僧侶の参画が推定できよう。(後略)」
pp.14-16に「政宗再造営以前の五大堂の存立」、「五大堂は法蓮寺から瑞巌寺へ移管」等の記述があります。
資料2 [松島町歴史文化基本構想策定委員会策定], パスコ環境文化コンサルタント事業部編『松島町歴史文化基本構想』松島町教育委員会, 2018年【K709.23/マツ2018.3】
pp.38-41「第3章 松島町の関連文化財群」-「3. 各文化財群の概要」-「A 1000年前の霊場 松島」の項
p.39「(前略)実際は政宗が復興した五大堂棟札には寺務法印大僧都照鏡という天台系の人物の名が記されていることから、江戸時代まで両派が共存していた事がうかがえます。(後略)」
また、下記資料にあたりましたが「照鏡」の記載は見当たりませんでした。
資料3 塩竈市史編纂委員会編『塩竈市史』3, 塩竈市, 1959年【K223.5/シ1/3】
pp.439-445「鹽竈神社史」-「五、社職と法蓮寺」-「(二)法蓮寺」の項
p.440に「史料を検討して判明する法印名」として法印第一世富鏡から法印名の掲載がありますが、法印名が不明な箇所が何代かあります。「照鏡」の名の記載はありませんでした。
資料4 菊田定郷著『仙台人名大辞書』続「仙台人名辞書」刊行会, 1981年【K280/キ1-2】
資料5 平重道編『伊達治家記録』2, (仙台藩史料大成), 宝文堂出版販売, 1973年【K205/タ3/2】
資料6 松島町教育委員会編『松島町の文化財』松島町教育委員会, 2017年【K709.23/マツ2017.3】
資料7 村山泰応著『瑞巌寺誌』宝文堂, 1986年【K188/ム1-3】
資料8 仙台市博物館編『瑞巌寺』仙台市博物館, 1992年【K188/セ3/タ】
資料9 堀野宗俊著『大崎八幡宮と瑞巌寺』大崎八幡宮, 2009年【K185/ホソ2009.2】
資料10 塩竈市史編纂委員会編『塩竈市史』資料篇, 国書刊行会, 1982年【K223.5/シ1-2/3】
資料11 志波彦神社塩竈神社社務所編『塩竈神社史』志波彦神社塩竈神社社務所, 1930年【K175/シ3-4】
資料12 押木耿介著『塩竃神社』学生社, 2005年【K175/オ1-2】
資料13 鷲尾順敬編纂『日本仏家人名辞書』東京美術, 1979年【180.3/ワ1-2/R】
資料14 日本仏教人名辞典編纂委員会編集『日本仏教人名辞典』法蔵館, 1992年【180.33/ニ1/R】
資料15『仙台叢書』第4巻, 宝文堂出版販売, 1971年【K081/セ1-2/4】
資料16 渡辺信夫編『宮城の研究』3, 清文堂出版, 1983年【K200.8/ミ2/3】
資料17 渡辺信夫編『宮城の研究』5, 清文堂出版, 1983年【K200.8/ミ2/5】
なお、下記資料に「五大堂」の所管に関する記述がありました。参考まで御紹介します。
資料18 宮城県史編纂委員会編『宮城県史』12, 宮城県史刊行会, 1961年【K201/ミ1/12】
pp.258-259「仏教史」-「真言宗」-「宮城郡」の項
「塩釜の法蓮寺は塩釜神社の別当であった。しかし中世に於ける別当は神宮寺で、留守氏の一族が神宮寺別当となった。(中略)五大堂は延福寺が臨済宗になったのちも塩釜神宮寺の管理下にあった。藩政初期は法蓮寺の支配下にあり、雲居が瑞巌寺中興となってから二代忠宗に請うて瑞巌寺に与えられた。」
(2)上記資料3、6-12にあたりましたが、「照鏡」と「見仏上人」に関連する記載は見当たりませんでした。
2 五大堂の鍔口に記されている「真壁助安」と「又五郎入道」という人物について
下記資料に「真壁助安」に関する記載がありました。
資料19 松島町誌編纂委員会編『松島町誌』松島町, 1960年【K223.1/マ1】
pp.286-288「処誌」-「松島海岸の名所旧跡」-「五大堂」の項
p.288「(前略)また別に藤原秀衡の第五子真壁助安が堂前の軒に鰐口を寄進した。その銘は 銘曰 右志者草壁助安 右息災延命 敬白、松島五大堂宝前 乾元二年癸卯閏四月十日 同勧進五郎入道為武運長久寄附之 とあったが、現在その鰐口をかけた金具はあるが鰐口は残っていない。乾元二年は約六百五十年前であって、松島金石中では古いものであった。(塩松勝譜)(後略)」
資料20 鈴木省三編『仙台叢書別集』第4巻, 仙台叢書刊行会, 1926年【K081/セ2/4】
pp.64-65「塩松勝譜巻之四」-「五大堂」の項
「(前略)昔奥羽太守秀衡ノ五子。此ニ同盟シテ載書ヲ蔵スト云フ。堂ノ前簷ニ鰐口ヲ懸ク。銘ニ曰ク。乾元元年正月十一日。草壁入道勧進五郎。為武運長久。」※返り点は省略しています
資料21 『南北朝遺文』関東編 ; 第1巻, 東京堂出版, 2007年【210.45/2007.5/1】
pp.3-5「付録」-「常陸国真壁氏と得宗政権に関する研究の現状 清水亮」の項
pp.4-5「(前略)陸奥国松嶋と真壁氏の関係に言及した糸賀茂男氏の研究である。(「常陸中世武士団の在地基盤」〈『茨城県史研究』六一、一九八八年〉)。(略)性西法身の本名が真壁平四郎であること、松島五大堂に鰐口を寄進した「真壁助安」(『真壁町史料中世編(3)』三二六頁)の存在に着目し、鎌倉期の陸奥における真壁氏の活動を示唆している。(後略)」
なお当館では、『茨城県史研究』61号、『真壁町史料』中世編(3)の所蔵はなく、資料の内容確認はできませんでした。
また、前掲資料3-4、7-12にあたりましたが、「又五郎入道」、「五郎入道」に関する記載は見当たりませんでした。
3 五大堂「鰐口」について
下記資料に五大堂「鰐口」に関する記載がありました。
資料22 板坂耀子編『近世紀行文集成』第1巻, 葦書房, 2002年【915.5/キン2002.6/1】
pp.385-394「未曾有後記」-「松島見物」の項
p.387「(前略)五大堂は(中略)簷(のき)に径九寸余の鰐口〔鈴〕有。到て古物と見へたれば梯子を取寄、従士を登せて下ろさするに下りず。強いて引取ば破ん恐れ有ば、其まゝ紙にすらせたれど文字不分。僅に「乾元二年癸卯閏四月十日敬白、松嶋五大堂右志者草壁助安」等の数字を読得る而巳(後略)」
※「未曾有後記」は遠山景晋の著。文化2年に幕府の命令で蝦夷地の調査に赴いた時の紀行文で、「解題」によると「松島見物」は復路の紀行のようです。
- 回答プロセス
-
1 「照鏡」について
資料1の「鹽竈神宮寺系僧侶の参画が推定」の記述より、神宮寺、法蓮寺関連を調査。『塩竈市史』や塩竈神社関連資料を調べたが「照鏡」の名の記載は確認できなかった。また、資料2の「天台系の人物の名」の記述より『日本天台宗年表』『瑞巌寺誌』等を調べたが「照鏡」の名の記載は確認できなかった。「日本仏家人名辞書」等の辞典にも掲載はなかった。
また、「照鏡」と「見仏上人」とかかわりについて「瑞巌寺」に関する資料を確認したが、「照鏡」についての情報が不明なため「見仏上人」との関連は不明である。
2 五大堂鍔口銘中の人名について
法身禅師(俗名真壁平四郎)との関連について、瑞巌寺関係資料や、鈴木常光著『真壁平四郎』崙書房, 1979年【K188/マ3】にあたったが、関連する記述は確認できなかった。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
-
- 清水眞澄/監修・執筆 濱田直嗣/[ほか]執筆. 瑞巌寺五大堂五大明王像. 瑞巌寺, 2018.3【K718/スイ2018.3】:
- [松島町歴史文化基本構想策定委員会/策定] パスコ環境文化コンサルタント事業部/編. 松島町歴史文化基本構想. 松島町教育委員会, 2018.3【K709.23/マツ2018.3】:
- 塩竈市史編纂委員会/編. 塩竈市史 3. 塩竈市, 1959【K223.5/シ1/イ3】:
- 菊田定郷/著. 仙台人名大辞書. 続「仙台人名辞書」刊行会, 1981【K280/キ1-2】:
- 平重道/編. 伊達治家記録 2. 宝文堂出版販売, 1973.2【K205/タ3/2】:
- 松島町教育委員会/編. 松島町の文化財. 松島町教育委員会, 2017.3【K709.23/マツ2017.3】:
- 村山 泰応/著. 瑞巌寺誌. 宝文堂, 1986.1【K188/ム1-3/イ】:
- 仙台市博物館/編. 瑞巌寺. 仙台市博物館, 1992.10【K188/セ3/タ】:
- 堀野/宗俊∥著. 大崎八幡宮と瑞巌寺. 大崎八幡宮, 2009.2【K185/ホソ2009.2】:
- 塩竈市史編纂委員会/編. 塩竈市史 資料篇. 国書刊行会, 1982.4【K223.5/シ1-2/3】:
- 志波彦神社塩竈神社社務所/編. 塩竈神社史. 志波彦神社塩竈神社社務所, 1930【K175/シ3-4/イ】:
- 押木/耿介∥著. 塩竃神社. 学生社, 2005.6【K175/オ1-2】:
- 鷲尾 順敬/編纂. 日本仏家人名辞書. 東京美術, 1979【180.3/ワ1-2/R】:
- 日本仏教人名辞典編纂委員会/編集. 日本仏教人名辞典. 法蔵館, 1992.1【180.33/ニ1/R】:
- . 仙台叢書 第4巻. 宝文堂出版販売, 1971.10【K081/セ1-2/ウ4】:
- 渡辺信夫/編. 宮城の研究 3. 清文堂出版, 1983【K200.8/ミ2/3】:
- 渡辺信夫/編. 宮城の研究 5. 清文堂出版, 1983.10【K200.8/ミ2/5】:
- 宮城県史編纂委員会?編 宮城?著. 宮城県史 12. 宮城県史刊行会, 1961.1【212.3/1957.3/12】:
- 松島町誌編纂委員会/編. 松島町誌. 松島町, 1960【K223.1/マ1】:
- 鈴木/省三/編. 仙台叢書別集 第4巻. 仙台叢書刊行会, 1926【K081/セ2/4】:
- . 南北朝遺文 関東編第1巻. 東京堂出版, 2007.5【210.45/2007.5/1】:
- 板坂/耀子∥編. 近世紀行文集成 第1巻. 葦書房, 2002.6【915.5/キン2002.6/1】:
- キーワード
-
- 照鏡
- 真壁助安
- 又五郎入道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000343375