①『お寿司まるごと図鑑』の「お寿司ってどんな料理?」の項に、「始まりはなれずし」とあり、「寿司の起源にあたるものは、東南アジアでつくられていた、魚を長期保存するための発酵食品だといわれています。発酵食品とは、食材にふくまれるタンパク質やでんぷん質を、乳酸菌や麹菌、酵母菌などに分解させることで、うま味成分を増やし、長期保存を可能にした食品です。この発酵食品が中国へ伝わり、今から約2000年前には、現在の塩辛のようなものである「鮨(イー)」と、魚を塩と米と一緒に漬けこんで発酵させる「鮓(ヂァー)」という、2種類の食品がつくられていました。「鮨」と「鮓」は奈良時代には日本に伝わり、どちらも「すし」とよばれていたようです。その「すし」は「酸し」が語源とされ、乳酸菌で発酵したすっぱい味に由来すると考えられています。ちなみに「寿司」は「寿を司る」という縁起かつぎの意味で、江戸時代末に生まれた当て字です。」と記載されている。
②『話してみたい!伝えてみたい!ニッポンのこと1』には、「寿司は東南アジア生まれ?」とあり、「最も古い寿司は、なれずしといい、魚を保存するために、塩やごはんといっしょに発酵させたものだった。この調理法は、2000年以上前に東南アジアで生まれ、日本に伝わったと言われる。なれずしでは、ごはんを食べなかったが、室町時代ごろには、ごはんも食べるようになった。酢飯を使うにぎり寿司が登場したのは江戸時代。気の短い江戸っ子に、すぐに食べられるように考えられたとも…。」と記載されている。
③『子どもに伝えたい和の技術1』の「すしはどこからきたの」の項に、「じつはすしのルーツは日本ではないといわれています。(中略)東南アジアのタイやミャンマー、ラオスなどの稲作をする人たちは、作業の合間に魚をとり、食べます。「雨季」のときは豊富にとった魚を「乾季」の魚のとれないときのために、保存が必要でした。その貯蔵法は乾かして干魚や塩漬けにするほか、塩漬けの魚と米や粟のデンプンを利用し、まぜて桶に入れるものです。桶の中で発酵すると酸味が出て、魚もすっぱくなります。これらが「すし」のルーツといわれています。」と記載されている。また、「もともと、「すし」という文字は、漢字で「鮨」や「鮓」と書きます。これは中国から伝わりました。東南アジアで生まれた魚を発酵させる技術は、北上して中国をへて、やがて日本へと伝わりました。日本へ伝わった時期ははっきりしませんが、日本最古の文字資料、奈良の正倉院文書の『但馬国正税帳』、『尾張国正税帳』に「鮨」の文字が、平城宮の木簡(文字などを書いた札)には「鮓」の文字があります。7世紀末ごろといわれています。中国で紀元前5~3世紀の辞書『爾雅』の中に「鮨」は「塩辛」の意味と書かれてあり、「すし」とはちがうようです。かたや「鮓」は、3世紀の『釈名』という書に"魚を米と塩を発酵させて作る"と書かれています。どうやらこれが日本に伝わるすしのルーツのようです。」と記載されている。
④『日本の食とくらし1』の「国際的な食べ物、すし」の項に、すしは、「稲作とともに伝わり、日本で発達」とあり、「古いすしの形であるなれずしに似た食べ物は、東南アジアや中国などにも見られ、今から2000年以上前に稲作とともに日本に伝わったと考えられている。奈良時代には、あわびやいがいのすしが朝廷へ納められる品となっていた。」と記載されている。また、なれずしがある(または、昔あった)地域の分布図も載っている。
⑤『国際理解にやくだつNHK地球たべもの大百科14』の「寿司の歴史をみてみよう」の項には、「漢字がしめす寿司のルーツ」として、「すしのことを「寿司」と書くようになったのは、じつは「江戸前にぎり」ができてからのこと。それ以前の文献には、「鮨」または「鮓」の字であらわされていました。」とある。「この「鮨」「鮓」の二文字こそ、寿司がもともとは外国から伝わってきたことをしめす1つの証拠です。というのも、2つの字とも、日本でつかわれるようになるずっと前から、中国で使われていたからです。」とある。「では、寿司はもともと中国で生まれたのでしょうか?どうやらそうではないようです。寿司が中国でつくられるようになる以前から、東南アジアでは魚とごはんをつけこんだものがたべられていたのでした。」とあり、「東南アジアに生まれたこの保存食としての寿司が、中国(または朝鮮半島)をへて日本に伝わってきたと考えられます。」と記載されている。また、「寿司の歴史をみてみよう」の項には、「日本で文字の記録に寿司が登場するのは、すでにふれたとおり8世紀になってからです。」とあり、「どんなつくり方であったのかはよくわかりません。927年(平安時代中期)に完成した『延喜式』という本に、材料が魚と米と塩だけであったことが書かれている程度です。」と記載されている。また、「寿司の歴史に大きな変革がありました。その最初の変革が、室町時代の「ナマナレ」の登場です。」「室町時代にナマナレが生まれたことで、のちの「日本のお寿司」の原型がようやくできたといえます。」と記載されている。