レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年11月23日
- 登録日時
- 2015/03/10 14:43
- 更新日時
- 2015/03/10 14:43
- 管理番号
- 千県西-2015-9
- 質問
-
解決
中世に、上総国に退耕庵という寺(庵)があったらしいのだが、その場所を特定したい。わかる資料はないか。
- 回答
-
下記2件の雑誌記事に上総国の「退耕庵」についての記載があった。
これらによると、退耕庵の場所は千葉県夷隅郡夷隅町能実と記載されており(現在は、千葉県いすみ市)、夢窓疎石(夢窓国師)が滞在した場所とのこと。
【資料1】市原允「いすみ歴史物語(7) 退耕庵と金毛窟」(『JOHOちば』千葉報道センター 3巻9号 1996.11)p36-37
【資料2】市原允「夢窓国師と退耕庵」(『房総路』押尾孔版社 通巻15号 1986.4)p16-17
また、上記で判明した夢窓疎石と夷隅町(現・いすみ市)を手掛かりに資料を探したところ、下記資料にも記載があった。
【資料3】『夷隅町史 通史編』(夷隅町史編さん委員会編 夷隅町 2004)
第4章第1節に「5 夢窓疎石と退耕庵」という項があり(p123-127)、町内能実にある太高寺に「中世には退耕庵という庵があった」等の記載がある。
【資料4】『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1984)
「夷隅町」の「沿革」の項、「中世」の見出しに「夢窓疎石が上総国千町荘能実にきて退耕庵を結んだのは元亨3年(1323)から正中元年(1324)といわれる」との記載あり(p1192)。
【資料5】『郷土資料事典 12 ふるさとの文化遺産 千葉県』(ゼンリン 1997)
「夷隅町」の項に「14世紀初めに夢窓国師が退耕庵を営んだ旧跡と伝える能実(のうじつ)の太高寺」との記載あり(p245)。
【資料6】『日本歴史地名大系 12 千葉県の地名』(平凡社 1996)
質問者が調査済とのことだったが、「夷隅町」の小項目「千町庄(ちまちのしょう)」に「元夷隅町北部を中心に現岬町岩熊・睦沢町大上を含む地域に比定される」、「夢窓疎石は庄内に退耕庵をつくり住している」等の記載があった(p864)。
【資料7】『全国寺院名鑑 北海道・東北・関東篇』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会編 史学センター 1983)
寺院名簿に「曹洞宗 太高寺」の所在地は「夷隅町能実955-2」と記載あり(巻末p109)。
- 回答プロセス
-
千葉県立図書館ホームページ内、千葉県関係資料検索「菜の花ライブラリー」を「退耕庵」で検索したところ、「千葉県歴史関係雑誌記事索引」で2件ヒットあり。この2件の掲載誌を提供した。また、この雑誌記事で判明した夢窓疎石と夷隅町(現・いすみ市)を手掛かりに町史や地名辞典等を確認した。
- 事前調査事項
-
【質問者による事前調査事項】
『日本歴史地名大系 12 千葉県の地名』(平凡社 1996)は見てみたが、載っていなかったとのこと。
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
-
- 【資料1】市原允「いすみ歴史物語(7) 退耕庵と金毛窟」(『JOHOちば』千葉報道センター 3巻9号 1996.11)(1501634549)
- 【資料2】市原允「夢窓国師と退耕庵」(『房総路』 押尾孔版社 通巻15号 1986.4)(0501203960)
- 【資料3】『夷隅町史 通史編』(夷隅町史編さん委員会編 夷隅町 2004)(1101961603)
- 【資料4】『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1984)(1100008021)
- 【資料5】『郷土資料事典 12 ふるさとの文化遺産 千葉県』(ゼンリン 1997)(1101531620)
- 【資料6】『日本歴史地名大系 12 千葉県の地名』(平凡社 1996)(1101482240)
- 【資料7】『全国寺院名鑑 北海道・東北・関東篇』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会編 史学センター 1983)(1100518132)
- キーワード
-
- 退耕庵
- 夢窓疎石
- 夢窓国師
- 千葉県-いすみ市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000168831