レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年10月27日
- 登録日時
- 2024/04/02 13:24
- 更新日時
- 2024/04/02 13:24
- 管理番号
- 2024-001
- 質問
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解決
初めての「癩患者数調査」を1897年(明治30年)とするものと1900年(明治33年)とするものがあるが、どちらが正しいか
- 回答
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①1897年(明治30) 北里柴三郎により初の統計調査が実施される(患者数は資料によって異なる)
②1900年(明治33) 内務省による全国実態調査が実施される(患者数30,359名)
→日本で初めてのハンセン病患者数調査としては1897年、国主導での初めての調査としては1900年ということになります。
①1897年の調査について
光田健輔「國際癩會議を顧みて」(『愛生』第8巻第7号、1938年7月)
オカノユキオ「第一回国際らい会議の我が国への影響(一)」(『愛生』第15巻4号、1961年4月)
林芳信「明治百年と日本のらい事業 総論」(『多磨』第50巻第2号、1969年2月)
等に記載がみられます。
うち、林芳信の記事には「中外医事新報に掲載されていた数字が明治30年10月調査の最後のものと思われるのでこの数字(23,660人)を採択した」との記載があります。またオカノユキオも「一九、八九八人の数字を得たと云われている」と記載しており、出典の明記はなく、伝聞のようです。
②1900年の調査について
林芳信「明治百年と日本のらい事業 総論」(『多磨』第50巻第2号、1969年2月)
光田健輔『光田健輔と日本のらい予防事業 らい予防法五十周年記念』(藤楓協会、1958年)
武田徹『「隔離」という病い 近代日本の医療空間』(講談社、1997年)
藤野豊『「いのち」の近代史 「民族浄化」の名のもとに迫害されたハンセン病患者』(かもがわ出版、2001年)
等に記載がみられます。
国が主導して行った初の実態調査であり、そこでの調査結果は、30,359名となっていました。その他、1900年の調査では実数だけではなく血統を有する者の数も調査されています。
窪田静太郎(癩予防協会 副会頭 法学博士)「52.本邦癩予防制度創設事情に就きて」(『レプラ』第7巻第1号(1936年1月)「第8回日本癩学会演説」)にて、「癩病血統及び患者表」(明治33年11月調査)として引用されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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藤楓協会 編. 光田健輔と日本のらい予防事業 : らい予防法五十周年記念. 1958.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I37111101046383 -
武田徹 著. 「隔離」という病い : 近代日本の医療空間. 講談社, 1997. (講談社選書メチエ ; 109)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002599898 , ISBN 4-06-258109-4 -
藤野豊 著. 「いのち」の近代史 : 「民族浄化」の名のもとに迫害されたハンセン病患者. かもがわ出版, 2001.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002982686 , ISBN 4-87699-587-7
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藤楓協会 編. 光田健輔と日本のらい予防事業 : らい予防法五十周年記念. 1958.
- キーワード
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- ハンセン病
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000348614