①『クリスマスの文化史』では、煙突から訪れるサンタクロース像が世に広まっていった過程がわかる箇所として、まず「第四章 聖ニコラウスからサンタクロースへ」の「シント・ニコラスからサンタクロースへ」にて、作家のワシントン・アーヴィングが1809年に発表した歴史書『ニッカボッカー氏のニューヨーク史』に描写された聖ニコラスに関する記述がある。それによると、聖ニコラスは「木立や屋根の上を楽しそうに馬車で飛び回り、半ズボンのポケットからたくさんのプレゼントを取り出しては、良い子のいる家の煙突から投げ入れた」と描写されている。また、その後1822年にコロンビア大学の神学教授クレメント・クラーク・ムーアが娘のために作った「聖ニコラスの訪問」という詩の中で「聖ニコラスが自分で煙突から家の中に入りプレゼントを靴下に入れる様子」を描いており、この詩がアメリカ中に広まったことが記されている。
②『サンタ・マニア』では、「サンタクロースとは、聖ニコラス(Saint NICOLAS)のことである」とし、聖ニコラスの様々な伝説を紹介した後、現在のサンタクロース像が出来上がっていった過程についてまとめている。その中で「第1章 サンタクロースの変遷と文化的意味」の「サンタがアメリカにやって来た」にて、「近代サンタクロース像を作りあげることになったのは、1822年のClement C.MooreのA visit From St.Nicholasという詩である」と述べた後、「この詩で特徴的な事柄は、セント・ニコラスがエントツから家に入ると描写した点である。この突拍子もない訪問の仕方については、解釈が諸説ある」として、5つの説を挙げている。
③『サンタクロースの謎』では、「第五章 サンタクロースがやってくる」の「なぜ煙突からやってくるのか」にて、サンタクロースが煙突から訪れる理由に関するいくつかの説について触れた後、「サンタクロースの煙突訪問は意表をつく表現である。闇の恐れを希望へ変え、幸せを運ぶということは、意外性の中で起こると言いたいのである。(中略)だからサンタクロースは煙突から、それも誰にもわからないように、そっとやってくる」と述べている。
④『世界のクリスマス百科事典』では、「第Ⅰ部 歴史編」の「サンタクロースの出現」内の「近代プロテスタント圏における出現」にて、「19世紀の作家.W.アーヴィング(Irving)によれば,米国において,オランダ人の移住者はシンタクラース,すなわち聖ニコラウスを崇敬していたという.シンタクラースは馬車に乗って空を飛び,プレゼントをもって煙突の中を滑り降りていく存在として信じられていた.これが聖ニコラウスと結びついたサンタクロースの創造」であると書かれている。
⑤『サンタクロースって、だあれ?』では、「わたしたちが今日知っているサンタクロースが生まれたのは、1822年12月、ニューヨークにおいてなのです」と述べた後、「移民としてのサンタ」の項目にて、クレメント・クラーク・ムーアが家族に書いた詩である「聖ニコラスの訪れ」を紹介している。その詩にはサンタクロースが煙突から入ってくる様子が描写されており、「1823年12月23日に、その詩は、作者不詳という主旨の編集者のことばを添えて、『トロイ・センティネル』紙に掲載されました。(中略)その詩は全国民の愛誦するところとなっていました」と書かれている。また、「ムーア教授のサンタクロースは他の多くのヨーロッパ文化の中で育まれた聖ニコラス像の特徴を組み入れたものでした」と述べられている。